苦しみや迷いの中にある時には、人は必死にあがこうとします
それは溺れた者が必死になって水かきをしているような状況です
溺れまいと必死にかいているつもりが、むしろ水を飲み込んだり、沈んでしまったりします
人生にも同じようなところがあって、自我の服を着ていると、溺れてしまうことがあります
私たちは自我こそが自分を守ってくれるものだと思っているため、それを手ばなせずにいます
そして必死になってもがくのですが、かえって溺れたりします
そうした時には、自我の服を脱ぎ捨て、財布やスマホなど、大切と思って握りしめているものを手放し、力を抜いてゆだねてみる事です
そうすると身体がスーッと浮いて、助かります
人生においても、宇宙の偉大なる力に自身をゆだねることで、助けを得られることがあるのです
自我力でもがいている時には、水も飲みこんで苦しかったのが、力を抜いて身を任せると、安らかに、浮力の力がかかってきます
溺れるのはあくまで例えですが、その浮力と同じように、人生でも自我を脱ぎ捨てて、宇宙の大いなる力にゆだねることで、助けられてくることがあるのです
苦しい時期には一度たちどまって、大いなる力を感じ取る時間を持ち、自我を空にする時を持ってみましょう
瞑想の中で我を脱ぎ捨て、宇宙の力と一体となってみるのです
すると今まで抜け出せずにいた問題の抜け道を見つけられるようになるでしょう
2 件のコメント:
画像のような浮き輪が欲しいです
プカプカと浮けそうですね
私も泥沼にはまってしまったときに、これが泥沼だってことはうすうすわかっているんだけど、なんとか脱出しよう、脱出しなければ、ここにいてはまずい、こんなところにいる自分はだめだ、 そうやって泥沼でもがいてもがいてどんどん沈んでいくことが多々ありました。 そうしてだんだんと泥沼から気づいたら抜けることはできたんだけれども、あとから気づくと、泥沼でもがいたら、沈むだけだと。
なんであんなにもがいていたんだろうと。
今回のように、宇宙の力にゆだねる、これをすっかりできないでいました。
自力以外にはどうすることもできないと意地をはってるみたいに。
でもこれからは、この失敗の経験を生かし、どんなときも
宇宙を信じゆだねる気持ちをもってもがかずあせらず、ゆったりとありたいと思いました。
ありがとうございます。