2018年10月25日木曜日

「嘲笑の罪」 嘲笑は転生における大きなカルマを負う事になる


嘲笑というのは、人の欠点や弱点を捉えてあざ笑う事を言います

もちろん笑いには、相手を愛する思いから出ることもあります

相手への愛情や好意によって笑う事もあるでしょう

ですが他人の心を傷つけてしまう嘲笑という笑いもあります

ネットでは匿名をいいことに、人の事をあざけったり、嘲笑する書き込みも多くあります

こうした行為は、あまり罪の意識なくおこなわれ、それほど悪い事だとは当人は思っていないことが多いでしょう

しかし眠れる予言者エドガー・ケイシーは、転生における嘲笑の罪を述べています

ケイシーが病気の方を霊的に見て、その原因を探るリーディングと呼ばれるものがありますが、その中で「嘲笑の罪」と言われる、嘲笑によって生じたカルマについて述べています

36歳のときに小児麻痺で歩行不能となった女性へのリーディングでは、「この人は(過去世のローマ時代)、闘技場で足が悪くなったものに嘲笑をあびせかけた」と説明しました

そして別な小児麻痺で身体が不自由になった女性は「この人は(過去世のローマ時代)人間と人間との闘い、人間と猛獣との闘いを特等席で眺めた。現在彼女が受けている肉体的苦悩の大部分は、当時、命がけで戦う人々の悲惨な状態を見て笑ったその嘲笑に原因がある」と語ります

つまり前世において人の苦しんでいる姿や、欠点などを嘲笑した事により、今世は身体が不自由となって生まれてきたと述べています

もちろん小児麻痺の方がみなさんそうしたカルマを背負っているわけではなく、人々に健康のありがたさを伝えるためにあえて不自由な身体で生まれることを選ばれた魂の方もいらっしゃいます

ひとの病やカルマを見てそれをあざけるなら、その人も嘲笑の罪を犯すこととなるでしょう

上記で紹介した事例は、ケイシーを扱った書の「転生の秘密」に述べられていました

子供時代は他の子を見て、太っていたらブタだとか言って笑ったり、見た目であだ名をつけて笑いものにすることも多いでしょう

それらは他人が言われたらどれだけ傷つくのか、人の気持ちを学んでいく過程で、いずれ無くなっていくべきものでしょう

それが大人になっても未だに学べないとなると、罪になっていきます

上記にあげたネットでの匿名性を利用して、嘲笑したりからかったりする書き込みも多くなっていると思います

テレビにおいても、芸能人の中には、人の欠点を笑いものにする人もいますので、その影響もあって蔓延しているように思います

嘲笑というのは大きな罪であることを知って、私たちは気を付けていかなくてはなりません

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5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

これは本当に嫌だなぁと思っていたことです。人の欠点や失敗を皮肉ったり、笑いにしたりする事に悦を感じている人達もいるようです。自分もしないように本当、気を付けます

しばくん さんのコメント...

毎回の重厚なメッセージありがとうございます。
数日前の記事、中国によるチベットなどの弾圧は、弾圧されている側の方々が過去の転生で、加害者だったという解釈(妄想)もあるのでしょうか?
愚問ですみません。

匿名 さんのコメント...

私もよく容姿を両親や親戚に貶されたりします…。
子供の頃はまったく無かったのですが、つらいです😢!!!
言っている本人達は1ミリも罪悪感無しな口調で傷つきます。

私も綺麗になれば言われなくなるのかもしれませんが、自分も人の容姿を貶してはいけないと言うことが体験とこのブログでよく勉強になりました🌈

匿名 さんのコメント...

親なのに自分の子供の容姿を悪気もなくバカにすることがあります。私も私の姉弟も目が細い、笑ったら気持ちわるい、鼻がだんごだ等、何かしら言われて育ちました。どうしてなんでしょう。その容姿は自分の遺伝子なのに…。
子供に一生の劣等感を残す、やはり罪だと思います。

匿名 さんのコメント...

過去ログ記事へのコメント失礼します。

私は今28歳なのですが、小学生の頃、テレビで吉本新喜劇を見ていました。同学年の子はほとんど皆が見ていました。比較的穏やかな笑いもあるのですが、嘲笑の場面になるとげんなりしていました。確かに笑っていたのですが、どこか悲しい気分もつきまといました。新喜劇は特に嘲笑が多い劇だったように思います。

その頃から、「どうせ笑うなら、もう少し優しい気持ちで笑いたい」と、漠然と考えていました。

そして、大学生の頃、サンドウィッチマンのコントを見るようになりました。サンドさん達は、なるべく人が傷つかないような雰囲気を作るように努力されているみたいで、新喜劇の頃に感じたモヤモヤ感が払拭できました。

とはいえ、いくらサンドさんでも言葉の端々に、若干、嘲笑の名残が見受けられます。長年のお笑い芸人の皆さんの歴史の中で生きるからには、回避できない嘲笑もあるのかもしれません。

お笑い芸人の世界と「嘲笑」は切っても切れない関係なのでしょうか?

貴ブログを読むようになって以後、なるべく嘲笑しないように努力しているつもりですが、ふと気が付くと、せせら笑いをしている自分を自覚し、情けない気持ちになります。

無意識に浸透している嘲笑の癖を、なるべく修正していきたいと思いました。

長文失礼しました。

今後のコメントは X(旧Twitter)にてお待ちしております。