私たちの内には、どんな宝物や宝石よりも、地上のあらゆるお金や富を集めても、すべてに勝って尊いものを宿しています
それは神性や仏性と言われるものです
人間の中には大宇宙の根源たる神様と同様の性質を持ち、神様の一部を魂の中に宿しています
何物にも代えがたい霊的な宝を持っている私たちですが、この世的な自我や煩悩によってその宝を埋もれさせています
たしかに皆さん一人一人に宿っているのですが、深く土中に埋められた宝が、誰の目にも留まらぬように、気づかれることなく埋もれているのです
肉体によって生じる自我と煩悩という泥と土とによって、宝は埋もれ、人々は気づかずにその上を足で踏んで歩いています
この世のいかなる富や財宝とも代えがたい尊い宝を私たちは宿していて、それを埋もれたままにしているのです
生きていく中で積もらせてきた土を取り除き、霊的な宝を掘り起こすことが大切です
霊宝を発掘する中において、私たちは神様へと近づいていきます
魂は霊的な向上をしていくことで、本来の宝を発露し、大宇宙の根源と一体となっていきます
同じく神より別れた魂である同胞を愛して、助けになる生き方をすることで、人は神に奉仕していることになります
欲望や、怒り、怠惰、慢心、疑いや絶望。こうした煩悩の土塊を取り除いていくことで、神性は輝きを取り戻していきます
見つけられないのは神性の責任ではなくて、それを汚れで埋もれさせた私たちにあります
汚れを取り除き、綺麗に磨くことで、神性のダイヤモンドは輝きを取り戻し、本来の光を発するようになります
私たちの本質が、唯物論者の言うように、物質の塊でしかないのなら、いくら汚れを払い磨いても、ただのゴミしか出てきません
自らを磨くことで輝ける自分になっていけるのは、その本質が尊い宝であるからです
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