神仏の思いというものは、あの太陽のようなものだと思います
太陽は惜しみなく光を降り注ぎ、地上の生き物たちを生かし、育み、力を与えます
そのように無償の想いで私たちを生かしてくださるのが、神仏の愛であり、心でありましょう
神仏の慈悲によって生かされている私たちだからこそ、同じように人々に愛を持って接するのが必要なのだと思います
出会った人々に、勇気を与えたり、やる気や希望をあたえ、消沈した気持ちを鼓舞してあげることこそ愛です
相手を縛ったり、自分の思い通りに動かすことをもって愛とは言いません
それは執着であり、我欲になります
相手が良くなることを願い、見返りを求めない行為こそ、太陽のごとき愛であり、神仏の愛と近くなります
私たちの思いが本当の愛に近づいていくほど、神仏の思いと同調するようになります
同調することのよって、神仏の愛は私たち人間を通して、世の中へと広まっていきます
それは汲めども尽きぬ井戸水のように、滔々と湧き出て人々の渇いた喉を潤していきます
いつの間にかもらう事に当たり前になりすぎて、与えるという事を忘れていたような気がします。
返信削除みずから与える人間に私もなりたいです。
息子は大学院を卒業して4月から社会人となっているはずでした。卒業式の日、研究室に数ヶ月前から姿を見せておらず就職も決まっていないことがわかりました。息子のためと思って、勉強を頑張らせ大学院に進学して大企業に就職するのが当たり前と思っていたのが親の執着、我欲でした。彼のキャパを超えてました。今は実家に戻ってくれたので、社会に貢献できる仕事を見つけて彼自身幸せになれるよう、神仏の思いと同調するような愛をもって、応援していこうと思います。
返信削除本当に素晴らしい文章でした。
返信削除久々に感動致しました!
有り難う御座いました。