神仏という私たちを育み導いている、見えない偉大な存在がいます
みなさまも神社仏閣などに、願い事をしに行ったことがあるのではないでしょうか
希望の学校に入りたいと願ったり、子宝を授けていただくように願ったり、素敵な異性と縁が結ばれるように願ったり、病気を治していただけるように願ったりしたかも知れません
こうした願い事は、すべてが叶うわけではありません
幾つかの条件があって、願い事は叶えられていきます
ひとつには、その願いごとの実現が、その人の人生計画に役立つものであるかが問題です
地上の人間が願っている事でも、必ずしもそれが本来の使命につながるとは限りません
ある人物の話しですが、彼はトヨタ自動車のエンジニア職募集の面接を受けましたが、みごとに落ちてしまいます
しばらく彼は無職で過ごしました
彼は暇な時間を利用して、ご自慢の器用さから、自宅でスクーターを製造しました
自作のスクータが売れ出して、本業となっていきます
その人物とは、本田技研工業(通称:ホンダ)の創業者である本田宗一郎さんです
もし本田さんが、彼の願い通りにトヨタに入っていたら、いまのホンダは無かったでしょう
そのように、地上の人間が願っていることが、必ずしもその人の本来の使命につながっているのではなくて、一見すると挫折に見える経験から、本来の道へと進むことがあるのです
また試験に落ちたり、入学試験などで希望する学校に落第することもあるでしょう
それもまた、別な道が敷かれていることがあります
昔の中国で、科挙という難しい試験に落ちてしまった杜甫は、やがて詩人となり、後に「詩聖」とまで呼ばれるようになります
そのように科挙の試験に落ちて詩人となられた人は多く、もし杜甫が科挙に受かり、良い役職についていたら、彼の詩人としての成功は無かったかも知れません
そのように、本人の願いが叶うことが、必ずしもよいことではなく、一見すると挫折の道と思われたところに、花が咲くことがあるのです
その人物とは、本田技研工業(通称:ホンダ)の創業者である本田宗一郎さんです
もし本田さんが、彼の願い通りにトヨタに入っていたら、いまのホンダは無かったでしょう
そのように、地上の人間が願っていることが、必ずしもその人の本来の使命につながっているのではなくて、一見すると挫折に見える経験から、本来の道へと進むことがあるのです
また試験に落ちたり、入学試験などで希望する学校に落第することもあるでしょう
それもまた、別な道が敷かれていることがあります
昔の中国で、科挙という難しい試験に落ちてしまった杜甫は、やがて詩人となり、後に「詩聖」とまで呼ばれるようになります
そのように科挙の試験に落ちて詩人となられた人は多く、もし杜甫が科挙に受かり、良い役職についていたら、彼の詩人としての成功は無かったかも知れません
そのように、本人の願いが叶うことが、必ずしもよいことではなく、一見すると挫折の道と思われたところに、花が咲くことがあるのです
タイムマシーンに乗って過去に遡って失敗を変えてしまったら、本来の使命の道からはずれますね。そしたらまた修正しようと、人生混乱するんでしょうか。
返信削除悔やむ過去にはもどらないほうがよさそうです。
初めまして。いつも楽しみに読ませていただいております。
返信削除その昔、高校受験で合格したのに、父の仕事の都合で通えないという憂き目に遭ったことがあります。
渋々通うことになった別の高校で、「ここは自分の居場所じゃない」と、心を閉ざしてやさぐれた状態で居りました。
その時にあるクラスメートから誘われて、とある部活動に入部しました。それも渋々でしたが。
しかし、性に合っていたのか、成績が伸びて地区大会で上位入賞を果たせる成果を出せました。
その時に初めて、「合格した志望校には通えなかったけど、この学校に来て良かったんだ」と、思えました。
もしも神様が居るとするなら、神様がその友人の体を使って導いてくれたのかなと思います。
もしそのまま合格した学校に通学していたら、何か自分にとって良くないことが起こったかもしれなくて、
回避してくえたのかな?と。
「置かれた場所で咲く」というのは、真理だと思います。