一方で、霊やあの世を信じない、現実的な人というのは、来世が分からずに、死後に迷う事となります
霊的な人はこの世で迷い、現実的な人はあの世で迷う傾向があるという事です
霊的な目で物事を見ていると、この世では現実の問題に対処できずに、地に足のつかない生き方をします
物質的な物事でしかこの世を見ていないと、霊的な本質を忘れ、人生の真実を見失います
現実的な人は、この世では上手く渡り歩けるかもしれませんが、あの世に行って迷ってしまうことが多いです
霊的な人は、あの世ではスムーズに勉強が進みますが、この世では現実問題に躓く傾向にあります
スピリチュアルに関心の高い人は、ともすると現実から遊離してしまう傾向性もあるため、地に足をつけるように気をつけましょう
この世の出来事や政治、経済にも関心を持ち、知識をもつことも大切です
山奥の人里離れたところで生活し、世俗から離れたような生き方をしていると、心は軽くなりますが、足元がおぼつかなくなります
時には世俗にまみれて、泥の中でも生き抜いていかなくてはなりません
蓮華のように、汚れた沼地であっても綺麗な花を咲かせるのです
そしてこの世の事ばかりに関心を持ち、物質に溺れて生きる者は、魂が重くなり、ずぶずぶと沼地に沈んでしまうような姿となります
人間の本来の性質である魂を忘れ、物質のみしかわからなくなれば、魂は重い鎧を被った状態になるのです
そのような姿で、いざ三途の川を渡ろうとすれば、自らの魂の重さで沈んでいくはずです
人間の本質を忘れ、物質欲に溺れてしまう事は、魂を失う事に等しくなります
この世でいくら地位や名誉を与えられ、高い地位についたり名声を得られても、あの世では何の役にもたたないおもちゃのようなものです
いくら物質をたくさん所有し、お金を得られようとも、それに執着していては、自ら重りをつかんで離さないに等しくなります
物質的な目だけ開いて、魂の目をふさいでいれば、霊的に迷うのは間違いないでしょう
両極端な考えは、バランスを失い、片方に倒れてしまいます
ひとは中道を進んでこそ、遠くへと歩んでいけます
初めてコメントさせてもらいます。
返信削除地に足をつけて歩むという意味がようやくわかりました。
偏りすぎていて、正直、困っていました。
人間は霊が本質だというのに、なぜ心を軽視して生きていけるのか、
と、自分や人を裁く傾向にありました。
意味がわかったから実践できるといいなと思います。
ありがとうございました。
陰と陽、明と暗などの両極とのバランスを極めていき保つこそが、人の、魂の、精神の、成長のテーマなのかもしれませんね…。
返信削除何か起きると原因は霊的なのか?考えてしまいます。因果応報なのかとか、生き霊がきてないかとか意識しすぎもよくないでしょうね…
返信削除自他ともに認める宇宙人です。スピリチュアルな家系にも生まれているのでグラウンディングが第一の必須科目な人生です。
返信削除まずはきちんときちんと家事をこなす。
これを課題にしています。
まさしく!10代後半から目に見えない世界に惹かれ、進路も神学部、神学院に進みました。スピ系の人とも交流したり、結果、現実社会では生きにくいフワフワ人間になりました。そのままフワフワ漂い漂い、転期を迎えたのは30歳。結婚です。相手は連れ子3人。こりゃ金を稼がにゃならんと一念発起。スピ系は傍に置いて、大台を越すことを目標に本業、副業あの手この手で頑張りました。現在42歳。目標達成したなとふと一息つきながら自分をみると、天と地が結びついたような安心感エネルギーが生まれてました。人間は霊的、物質的両方の存在だから、どちらも大切にしないといけないんだと実感してます。あと、私の所感ですが、目に見えないものを大切にしてる人が、現実的なことで頑張ろうとした時、たくさんの助力を得ることが出来る気がします。
返信削除洪さんのおっしゃる事、よ〜く理解できます。
返信削除アメリカの腐敗した政治家や投資家やマスゴミ連中か三途の川を渡る時、どんな感じになるのか一目見たい!
中共の連中は川さえも渡れないと思う。
スピリチュアルと出会いまして、以前はほとんど行ったことありませんでしたが、一宮や由緒ある霊現あらたかな神社(美輪さんのご著書に、今手元にありませんが、人ではなく神をお祀りしている神社がよいと書かれていたと思います。)などを参拝するようになりまして、神仏につきましての世界が広がりましたことなどを、スピリチュアルの光サイドの方々に心から感謝致しております。
返信削除本日のブログ、深いですね。
返信削除明日から、一方に偏っていないか注意しながら頑張っていこうと思います。
ありがとうございました。