2017年11月19日日曜日

弁財天様と宇宙の繋がり、市杵島姫命と宇賀神とのスピリチュアルな関係



弁財天様について質問がありましたので、取り上げてみます



弁財天様は元々はインドのサラスヴァティーという芸術・学問などの知を司るヒンドゥー教の女神で、水辺にすみ、弦楽器を手に持つ姿で描かれています

このサラスヴァティーが仏教に取り込まれて、弁財天となったと言われています

日本では弁財天は有名で、七福神の中で唯一の女神様として描かれていますね

姿は琵琶を抱え、バチを持って奏する音楽神様として描かれています

この弁財天様は、日本の神様の宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視されています

さらには質問で初めて知ったのですが、宇賀神とも同一神とされているそうです

宇賀神は、頭部は人間の頭をしておりますが、身体は蛇の姿をしています

また弁財天も、白蛇を眷属としていると言われます

これはどういう事かというと、実は弁財天様=サラスヴァティーという存在は、地球へと来られた宇宙人の魂をさしています

宇宙には様々な姿をした知的生命体が住んでおり、そのうちの一部は地球を訪れ、人間として生まれることがあります

実は以前にある女性歌手を拝見していて、宇宙時代は上半身が人間で、下半身は蛇のような姿をして弦楽器を持っているビジョンが浮かびました

この方の星から来られた魂たちが、のちに弁財天として呼ばれる存在になったのだと思います

音楽や芸術に優れた宇宙の生命体で、地球では芸能の神様として崇められてきたのでしょう

ちなみに宗像三女神は、オリオンの三つ星を神格化した存在とも言われています

ですので、宇宙から来られた神様であることを示しているのでしょう

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1 件のコメント:

  1. 弁天さま。弁才天さま。とサラスバティが習合して、更に市杵島媛命(宗像の媛命。これ、重要なポイント)と同一視されるに至った訳は、

    ご説明と同じく日本人(古代出雲の王族ら)のルーツの一つがインドに在ったから。
    その時より最高神のクナト大神(原型はシバ神様)、
    后神のサビメ/幸姫大神(原型はサラスバティ)、
    御子神のサルタ大神(原型はガネーシャ/聖天、歓喜天)と
    合わせ龍蛇神を深く信奉していました。

    出雲に至り国を成して約三千年前。それから王政を開始した(初代出雲王(オオナモチ)菅の八耳命。后が稲田媛命)のが2600数十年前。
    紀元前3世紀~2世紀にかけて秦の始皇帝の命を受けた徐福さまが二度に渡わたり渡来(弥生時代をもたらした)。
    一度目は出雲に至り王家の女、高媛/高照媛命(父は天冬衣(第七代オオナモチ)。母は宗像の多伎理媛命)を娶り、王族に列して丹波国を賜る。長男の五十猛(後にカゴヤマと改名)が生まれ出雲族らの警戒心が弛んだ隙を就いて
    かねてから密かに計画していた出雲王国の乗っ取り(簒奪)をはかり、第8代オオナモチの八千戈命と第8代スクナヒコ(副王)の八重波津身命を相次いで拉致誘拐、幽閉して餓死させて殺害(祟る大国主、と事代主/大物主の理由)
    一旦は事が巧く運ぶかに思えたのも束の間、出雲王国を継いだ第9代オオナモチのトリナルミ(死後にカヤナルミとも)と
    同じく第9代スクナヒコの味耜高彦らの懸命の態勢の建て直しが奏を功して帝国は見事に立ち直ります。
    そうなると徐福らは大悪党として出雲側から追撃、殺害の危機が迫り、妻子を置き去りにして母国に逃げ帰る。
    始皇帝の前に出向き前回同様、舌先三寸で上手いこと言い逃れしてさらに巨万の資金を拠出させ三千人の青年男女やあらゆる職能の工人、もちろん一族共々を引率して山東半島から再度の船出。
    有明海に入港して佐賀県に上陸。
    北九州を領していた宗像家(出雲の王族(分家)の市杵島媛命を娶り、次男のホホデミ(物部王家=天皇家の祖)と女の穂屋媛が生まれます。
    穂屋媛は異母兄の丹波国王、五十猛/カゴヤマに嫁いで天ムラクモを生みます。
    カゴヤマ並びにムラクモらは大勢力を率いて奈良盆地に入植、先住の出雲族らから是非も無しとムラクモを大王に推戴して大倭国が成立(海幸彦に例えた)
    、、、
    (吉野ヶ里は徐福らの子孫ら(物部王家)が築いた。筑秦国がなまって?筑紫国)。

    市杵島媛が直接の弁天さまと云う訳ではありませんが、出雲の王族の立場上その係累血脈に当たるためその様になった?
    また、天皇家の母系の遠祖、、、イサナミでもあります

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