世の中には、大別すると二種類の人間がいます
一つは他人から何かを得ようとしたり、奪うことに意識が向いている人
二つ目は自分から進んで何かを得る努力をしたり、人には分け与えることを意識した人です
前者の場合は、人から同情を得たり、愛情を得ようとして、無意識のうちに自らを不幸に陥れる場合があります
自分を不幸にするなんて考えられないと、表面意識では思うでしょうが、不幸な状況を作り出すことで責任を回避したり、周りの同情を得ていることが人には多いのです
たとえば、子供がよく熱を出して親の愛情を得ようとする場合などが挙げられます
これは子供の時ばかりでなく、大人になっても知らず知らずに、周りから同情をかうために不幸を引き寄せていることがあるのです
そのように消極的に自らが不幸になることによって、周りからの愛情を得ようとすることもありますし、積極的に人から何かを奪い取って、自らのものとしようとする場合もあります
人から地位を奪ったり、恋人を奪うこともありますし、お金を得ようとして必死になっている人もいるでしょう
そのように、消極的に他人から得ようとしたり、積極的に他人から奪おうとする考えの人がいます
こうした人たちは、社会や環境が悪くて、自分は不幸になったと考えたり、人が愛情を注いでくれないと不平不満や愚痴の多い人となったり、他人を見たら敵と思ったり、獲物を見るように情け容赦なく人を見るようになります
それとは反対に、自分の努力で何かを得ようとして頑張り、自らの手で成功や幸せを手に入れて、それを周りの人にも還元していこうと思える人がいます
自らの努力で道を切り開いていくことの大切さを知っている人でも、その後に、世の中に還元していく考えを持たない人もいます
自ら努力しつつ、成功は周りの人たちの助けによって得られたものだと謙虚に受け止め、世の中に役立つことをしていこうとする人が、もう一つの種類の人間です
自ら蒔いた種は、いずれ自らが刈り取ることを知っている人間であり、その豊作を人々と共有する楽しさを知っている智者となります
人はどのように物事を考えて捉えていくかで、未来を変えていける存在です
6 件のコメント:
思わず心にズシンと響きました。
幸せになりたいと思いながらいつも自分以外から奪う行為をしているのかもしれません。私は他人に分け与える気持ちを持って生きているのか・・・
自分の気持ちを顧みるきっかけをもらいました。
結局のところ、自分で自分を幸せにしてあげるのが一番良いのかな。無意識に他人からエネルギーを奪う人っていますよね。たがら、そうゆう人と一緒に仕事をしたり、遊んだりするととても疲れるんです。おそらく、彼女彼らは意識してないと思うけど、なんかこう振る舞いの端々に引っかかりを感じるし、披露感が半端ない。そんな時は「早く一人になりたい〜」と思ってしまう。
ゼレンスキーさんにも聞かせてあげたい話ですね。
幸せって感じ方、考え方次第だと気づいた時がありました。
昔、読んだ文庫本に出てきたある母子のエピソード。その母親と幼い子供はアパート暮らしで生活は楽ではありません。ある日、親切な方がその母親の子どもさんにとランドセルを頂いたきました。たったそれだけなのに、母親は「こうしてランドセルを貰えた。私は幸せです」と言いました。もう感動しましたね!
物質的に恵まれていなくても、些細な出来事でも感謝して「幸せです」と言える。その謙虚さが周囲の他人の優しさを招き、自分も幸せだと感じる。(母子のもとに別の人から机も頂いたということです)
幸せを感じるとはこういう事かと思いました。それから私はあらゆるものに対する感謝を忘れずに暮らしていこうと考えました。しかし、他人に分け与えるという行為はなかなかできませんけど(苦笑)
どちらかの種類の人間
ではなく、
おっしゃるとおり、未来を変えられる存在が人間なのだと、自分に言い聞かせています。
どちらにもなりうるし、どうにでも未来はかえられるのだと自分を信じたいです。
不平不満を言っていたり、自覚せずとも責任を回避しようとしていたりした事はあります。自分の普段の思いや行動を見つめ直す必要がありますね…