古代エジプトには、死者の魂が、神に二つの質問をされ、その答えによって行き先(あの世)が分かれると言われます
その二つの質問とは、「人生においてどれだけ喜びを発見したか?」そして「どれだけ世の中に喜びをもたらしたか?」だと言われています
これは映画『最高の人生の見つけ方』で取り上げていた話しですが、おそらくオシリスの42状の審判をもとにした話しと思われます
歴史的には正確なものではありませんが、重要な真実を述べていると思います
人は足らざるところに意識を向けてしまうため、満たされない思いに焦がれてしまいます
積極的に意識して喜びを発見していくことで、人は豊かな人生を得られます
物や金銭が豊富だから人生は豊かなのではなく、多くの喜びを発見し作り出してこそ豊かな人生を歩めます
世界中の贅沢な品々を食台に乗せて、高価な食器で、広いテーブルで食べていても、周りは欲で集まったものたちだったり、喜びを共にする者のいない孤独な食事ならば、豊かさも喜びも味わえないでしょう
逆に食事は手短なお店で買えるのもであっても、愛するものと綺麗な砂浜や、見晴らしの良い高台にいって食べるのは、喜びと豊かさを味あわせてくれます
そうした人生の喜びを発見し、演出することで豊かさは増していきます
また、出会った人々に喜んでもらえることをし、世の中に喜びを還元するならば、ますます豊かな人生となっていくでしょう
我欲にとらわれて、人に金銭を取られないようにと恐々としている人は、やはり豊かではなくて、貧しい精神に生きているといえます
周りの人に、すこしでも喜んでもらいたい、喜びのおすそ分けがしたいと思い、人の喜びを嬉しく感じるなら、持っている物質は少なくとも、豊かな人生を生きていけます
どれだけ喜びを発見していけたかと、どれだけ喜びをもたらしたか、この二つの指標に注意してみられるとよいでしょう
6 件のコメント:
キアヌ・リーブスさんも同じようなことを言ってました。勉強になります。ありがとうございました。
今日もたいへん良いお話有り難うございました。
喜びを感じられないのなら、きっと癒しが必要です。
自分からエネルギーを奪っているものから離れ、罪悪感を手放しましょう。
そして、自分で自分を喜ばせることを許しましょう。
自分に許可しない限り、他人のそれも許すことができないからです。
それができれば、もう大丈夫です。
そうでした。ややもすると、この真理をすぐ忘れてしまいます。思い出させて下さってありがとうございます🤗
能動的に、そして、giver(与える人)として生きることが幸せなのだと思いました。
Taker(奪う人)は、自分以外のモノから"奪うことしかできない"と思っています。そうするしかないと思い込んでいるのです。自信がないのですね。
では何故自信がないかというと、決して能力がないとかいうことではなく、"与えていないから"なのです。
与えることで、"与えられる自分"に自信が持てるようになります。与えるという行為をすることで、自分にも自信を与えられるのです。
始めは何でもいいので、与えてみることですね。
例えば、子供(や夫)にお手伝いをお願いすることは、子供(や夫)に自信を持たせてあげる(与える)ことになります。
また、受け取ることも自分に"与えること"であると同時に、相手に自信を"与えている"ということになるので、大切なことですね。
奪うのではなく、与え合う。
与え合えば、奪わなくても良かったのだということに気づいていきます。
自ら与え合う人のたくさんいる世の中って、素敵ですよね。
そうなったらいいなと思っています。
考えてみると、自分の喜びは沢山見つけられたような気がします。創ること、発見する事、良い思想に巡り合うことなどです。ただ、人に与えるというのは独りよがりになったりすることもあって、なかなか難しい事でした。他人を利用する人間を作ってしまったかもしれません。