「三つ子の魂百まで」という言葉があります
これは幼いころの性格は年とっても一緒だという意味でつかわれています
スピリチュアル的には、どのような意味かを書いてみます
人間の性格というのは、唯物論が説くように遺伝子によて決められるわけではありません
その人の前世を見ると、同じような性格をしているように、肉体に宿る魂に性格は左右されます
ですので、幼いころからの性格というよりも、ずっと前の過去世から、性格は似ているといえます
ただすべてが魂の持つ性質で決まるのではなく、環境の縁によって、現れてくる性質があります
仏教では因・縁・果といいます
植物の種が因とすれば、それが蒔かれた環境が縁となり、実をなすのが果となります
魂の性質である種があったとしても、その種(性質)が成長するためには、縁(環境)が必要になります
石ころだらけの場所に種がまかれても、成長しないでしょう
魂の性質である因があって、それを発現する環境(地域や親の影響など)があって、結果が出ます
子供として生まれた魂は、ある程度、持って生まれた性質があります
それはなかなか変えることはできないですが、よい性質を発現させるのか、悪い性質を発現させるのかは、親の教育などによって左右されるといえるでしょう
ですので、はじめから親の希望によてこう育てたいなどと考えても、その子にそうした性質がなければ何らかの歪が出来て問題を起こすでしょう
あくまでその子供の持っている性質を見極めて、良いものを伸ばし、悪いところはなおしていけるように育てられるのが良いかと思います
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