運命とは何か?スピリチュアルな視点から見ると
運命という言葉について考えてみます
私たちの運命はあらかじめ決まっているものだという意見もあれば、自分の努力で変えられるものだという意見もあります
占いなどにいくと、将来はこうなります等言われるため、人の運命はあらかじめ決まっているように感じる事でしょう
しかし、あらかじめすべてが決まっているのなら、人は努力の甲斐が無くなってしまいます
もしも一生懸命に努力しても、怠けてさぼっていても、結果が一緒であれば、だれも努力はしなくなるでしょう
いったい運命は決まったものなのか?それとも変えられるものなのか?疑問に持つ方もいるでしょう
実際のところは、決まった部分もありますが、変えられる部分も人の運命にはあります
運命における決まった部分というのは、いったい何で決まってしまっているかというと、その人の過去の思いや行いの結果として現れる部分です
仏教ではカルマとも呼びますが、人には今世だけではなく、別な人間として生きていた過去世というものがあり、過去に違う国で違う時代に生まれ育っていたこともあるのです
何度も生まれ変わってくることを転生輪廻といいますが、そうした生まれ変わりの過去において、自分がなした行いや思いの結果というものが、いずれは自らに返ってきます
それを因果応報と呼びます
人に対して傷付けるような事をすると、いずれ自分も傷つくようなことになります
そうした過去のカルマが返ってくるというのは、運命として決まっています
たとえば誰かに対して怒りをぶつけると、後日別な人から同じように怒られたり、怒るような出来事を引き寄せることがあります
現在において現れた結果は、過去にその原因が潜んでいます
外に現れた出来事を反省してみると、自分の発している思いが引き寄せた結果であることが、瞑想などを通して分かることがあります
そのように、過去の思いと行いが、いずれ返ってくる出来事として現れるのは、運命の決定部分として起こってくるでしょう
必然として起こる出来事というものはありますが、逆に変えていけるものも存在します
自らの思いと行いを変えていくことで、将来得られる結果を変えていけるのです
良い行いは良い結果を得られ、悪い行いは悪い結果を得ます
毒麦の種を庭に蒔けば、毒麦が生えてくるでしょう
綺麗な花の種を撒けば、綺麗な花を咲かせます
どのような種を蒔くかで、得られるものが変わってきます
もしも毒麦の種を蒔きながら、「自分の庭には綺麗な花が咲かない」と嘆く人を見れば、おかしな人だと思うでしょう
ですが心の中に毒となる思いを発しながら、よい人生を得たいと思う人がいても、それがどれだけ愚かなことか分からずにいます
人は心の中に蒔いたものを、将来得られるのです
蒔かないものや、蒔いたものと別なものを得ようとしても得られません
将来の運命を好転して変えていきたいと願うなら、心の中で発する思いと外にでる行為を、まずは見直してみる事です
運命と霊的影響
人は生まれてくる前に、あの世の世界において、あらかじめどのような人生を歩むかの青写真を描いてきます
たとえば、どのような両親のもとに生まれるとか、どのような仲間たちとの出会いをはたすのか、将来はどのような職につくかなどを、ある程度計画して生まれてきます
そうした計画があることを運命というなら、それはあるとは言えるでしょう
あるいは、事前に決められた変えられない部分の事を宿命と呼んで、運命と分けて述べることもできます
そのように運命はあるともいえますが、それは全部が初めから決まっているのではなくて、地上にいる人間の努力によって、だいぶ変えられて行けるところがあります
私たちの努力によって、未来は変えていける側面を持っているのです
ですので占いなどによって、すべてが分かるわけでもなく、未来が必然的に決まっているものでもありません
そのように運命には、生まれる前に決めていた計画と、地上にいる間の努力によって変わる部分とがあるのですが、それ以外に運命に影響するものとして、霊的な影響というものがあります
ネガティブな霊存在と縁を持つと、悪い影響が出てきて、坂道を転がるように嫌なことが起こったり、どんどんと運勢が悪くなっていきます
逆に善霊や光の存在と縁を持っていると、運が開けてきたり、明るい方向に進んでいけます
たとえば占い師や霊能者の方でも、優れた力のある方と言われている人でも、その実、ネガティブな存在に通じている人が大勢います
残念ながらそうしたネガティブ側のほうが多いでしょう
そうしたネガティブな霊に通じている方と、何らかの関わりを持つことで、ネガティブな影響を受けてしまい、運命も悪い方向に行ってしまうという人が多くいます
霊的に良い縁というのは、神仏などのご縁をいただいていると、何かの折に守っていただいたり、善導いただくのが好例です
このブログを通しても、光との縁は少しづつ繋がっていきます
なるべく悪い霊と繋がっているところとは縁を切って、よき存在との縁を大事にされると、運命も好転していきます
悪い運命に支配されないために
人には先に与えられた環境や個人の資質というものがあり、それが運命を形作っていることがあります
たとえば生まれた国だとか家族などはすでに決まっています
そしてご自身の持つ資質というのも、生まれつきのものがあります
それらのすでにある環境と資質は決まっていて、それをもとに運命が出来上がってきます
それは工作で作品を創作するにあたり、使える材料と工具が与えられていると例えたらよいでしょう
生まれ持った環境というのは、使える材料の種類であり、紙や段ボールを手にする者もいれば、金属や木材を手にしている者もいます
そして道具というのは、その人の持つ資質であり、ハサミのような才能や、のこぎりのような才能、ハンマーのような才能など、人によって持っている資質が違っています
このように材料と道具はある程度決められてはいますが、それによって何を作り出すかはその人自身の自由になるのです
私たちの力によって、作品である未来は多様に作り出せます
人間はそうした自由度をもっているのですが、人からの悪い想念を受けてしまって、悪い運命に陥ってしまう人が出てきてしまいます
たとえば女性の方であれば、占いなどお好きでしょうが、占い師に悪いことを言われてしまい、それで怖気づいて悪い方向に進むこともあるでしょう
占い師の悪い想念を受けてしまって、暗示にかかって、実際に悪くなっていくことがあります
あるいは以前に何かで失敗した人は、その時に人から厳しい批判をうけたり、笑われたりなど、プライドを傷付けられてしまい、同じ状況が出てきたときによい方向に歩みだす勇気が出なくなったりします
また失敗してしまうのではないかと恐れて、自分で崩れていってしまうのです
たとえば恋愛で失敗し、傷ついたことで、次の恋には進まないこともあるでしょう
その他にも、子供のころから両親や先生など、周りから否定的な言葉を投げかけられていて、悪い想念を受けてしまっていると、悪い暗示にかかって、言われていたような出来ない者として自分を規定してしまい、成功できなくなってしまうことがあります
一度縛られた経験のある鶏は、地面に紐が落ちているのを見ただけで、また縛られてしまっていると思い込んで、紐の届く範囲内にしか動けなくなると言います
そのように、悪い暗示を受けた人間も、自己暗示にかかってしまい、悪い運命に自ら陥ってしまうのです
そうならないためには、悪い言葉を受けすぎないようにして、自分の胸に刺さったネガティブな言葉の矢を抜いて、影響を避けていきましょう
そして自分の未来は自分で開いていけるという信念をもっていかれるのが望ましいです
運命の足を引っ張るもの
運命がなかなか好転しない理由の一つに、恨みや憎しみ、人を許せない思いがあるために停滞していることがあります
過去において自分を傷つけた人や、批判した人、悪口を言った人、イジメた人、裏切った人、色々な人がいたでしょう
そうした人について意識を向けなくなっていたとしても、心の底では、恨んでいたり、いまだに憎しみの思いが残っていることがあります
表面意識ではもう忘れていても、潜在意識には残っていることがあるのです
そうしたモノが心の深くに残っていると、自身の運命の足を引っ張ってしまうことがあります
潜在意識では主語が抜け落ちてしまうため、ネガティブなことを他人に投げかけていると、自分自身に返ってくるのです
たとえばAさんについて、過去に意地悪されて、「Aさんが幸せになるのは許せない!」っと思ったとしましょう
それが潜在意識に到達すると、「Aさんが」という主語が抜けてしまい「幸せになるのは許せない!」っとなってしまい、自分自身の幸せも知らず知らずに避けるようになってしまいます
イエス様が「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤りで量り与えられる」と言われたのは、この真理を指しています
人に対して厳しい裁きの思いを向け、ネガティブな思いを持つと、それが自分自身に返ってくるのです
ですので、心の中に人への恨みや憎しみ、許せない思いが残っているなら、それを手放すようにするとよいでしょう
「スピリチュアルスクール」では、手放すための実践的なワークも行っていますので、より深く行いたい方は、入ってみられるのもよいでしょう
運命を左右するスピリチュアルな法則
運命が周りの環境によって、大きく左右されると考える人がいます
他人のちょっとした行動によって、将来が大きく食い違ってくると思ってしまうわけです
確かに科学の世界ではバタフライ効果が言われていて、わずかな力学上の変化が、その後の状態を大きく変えるとする考えがあります
ですが人の運命というのは、その人の過去の思いと行いによって形作られていくものです
植物の種子をまくと、その植物の花が咲くように、人の中に蓄えられてきたカルマ(善業も悪業も含めたもの)も植物の種子のように、いずれ花咲いていきます
環境によって、その種子から発芽した苗が吸収する物質は違ってきますが、やがてはアジサイならアジサイの花を咲かせ、ヒマワリはヒマワリの花を咲かせていきます
それが違う土地に種をまいたからといって、別な花が咲くことはありません
人も同じように、環境によって形作られていくものに変化は出てくるでしょうが、カルマが咲かせる花は同じものが咲いていきます
たとえば、仕事の能力も高くて、人を導いていける素質を持ち、いずれは会社の社長として世の中に貢献する予定の人物がいたとします
本来相方として活躍する予定だった方が早くに亡くなったとしても、別な協力者が現れて、起業していくようになるでしょう
あるいは予想外の景気変動によって、会社が倒産することになっても、いずれ復活してくる場合もあります
そのように、状況は変わっていくとしても、結果はその本人が積んできたものによって決まってきます
その運命を決める要素というのが、過去から積んできた思いや行為であるわけです
よい行為として、努力を重ねてきたことや、人に良くしてきた行為は、善業として積まれていって、いずれは善い報いを得ます
悪い業として、怠けてさぼったり、自堕落な生活を送り、娯楽ばかりに走って努力せず、人には悪態をついてばかりの人は、その悪行の報いを将来必ず受ける事になります
その報いを受けるのは、すぐに表れるのではなく、時間がたってから訪れるため、因果応報が正しいことが分からなくなる人が多いです
しかし、環境が予想外に変化していっても、その過去から蓄積していったカルマは、いずれ花咲かせます
よい報いを得たいのであれば、現在からでもよい行為をなしていき、将来によい報いを得るようにすることです
運命に翻弄されないためのスピリチュアルな観点
人生には様々な運命の流れがあります
緩やかな流れの中でのんびり過ごす時であったり、激しい流れで転覆しそうになりながら渡る時もあります
ただ私たちは運命の流れに翻弄されるだけの存在ではありません
オールをもって、その激流に対処することが出来ます
ゆるやかな流れの中で、オールを漕いで前へと進む努力が出来ます
激しい流れの中では、岩にぶつからないように、流れを見定めて、オールで方向を決めながら渡っていく力があります
たんに流れのままに流されるのではなく、私たちの思いの力によて、流れを渡りきることが出来るのです
緩やかな流れの中で、ただ流れにまかせて楽しんでいるだけでは、オールを漕いで進み続ける人たちに追い越されていって当然でしょう
それは普段からの努力を意味します
学生で言うと、普段から遊んでばかりいる人と、真面目に勉強してる人とでは、やはり学力に差がついていきます
それを希望する進路に進めなかったことを、運命と嘆くのは違っています
運命の流れの中で、自分がしてきた行いが、やがて結果として出てくるのです
同じような運命の流れにあっても、真面目に努力している人と、遊んでばかりいる人とでは、進み具合が違てっきて、見える景色も変わってきます
自らの運命の中で、どのように努力していくかが、未来を変える事となります
さらに激流の時とは、人生で起こる苦難や悲しい出来事です
全ての人の人生に、そうした激流の時はおかれています
人生で辛く悲しい時期には、心をしっかりコントロールし、明るい方向へと進めていかなくてはなりません
そこで潰れてしまわないように、しっかりとオールをもって人生をコントロールしていくのです
激流の時期は誰しもが経験しますが、そこで自暴自棄になって潰れてしまったり、コントロールを失って流れに翻弄されないようにしなくてはいけません
同じように激流の中を渡っていたとしても、ただただ自我という船の縁にしがみ付き、運命を嘆いている人と、ここが正念場だと覚悟して、一生懸命に克服していこうとする人では、大きな開きが出来ます
どのような人生の急流にあっても、この厳しい時期を乗り越えていけば、いつかは穏やかな流れに抜け出せると信じて立ち向かっていくことです
実際に人には苦しい時期というものはありますが、それを乗り越えていくと、いずれは穏やかな日々が訪れます
ですので運命をいたずらに嘆くのではなく、自らの力で切り抜けていこうと決意していきましょう
全ての人に、運命を乗り切るためのオール(心の力)は与えられているのですから
6 件のコメント:
許せない思いを手放すことは、自分を大切にすることなんですね。
納得です。有り難うございます。
今の私には、わかっているけど、なかなか難しいです。もっと心をクリアにできるようになりたいです。
口に出さずとも心で考えることは思っている以上にその人に影響するようですね。愚痴や悪口は心から追い出して、楽しい気分でいたいものです。
はじめまして
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人は
恨みや憎しみ、人を許せない思いから
解放されると
どんなに良いだろうと
確かに思います
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「恨みや憎しみを捨て去りたい」と思うのに、似た状況で再び同じ事を繰り返す相手に、過去の想いを上塗りする自分が本当に情けない。。わかっているのに、言葉では理解しようとするのに、思念は暴走し自分の首を絞めている。
自分のコントロールが一番難しい。
許すことが自分の幸せに繋がると、頭で分かっていても、出来ません。昔から人間関係で悩み、成長できてません。頭で解ってはいても、心が落ち着いてくれないんです。許せる人って、本当に凄い。