スピリチュアルな世界では、何か人とは違った特殊な能力を持ったり体験をすることで、自分に陶酔し、うぬぼれてしまうことがあります
スピリチュアルに関心を持つ人でも、そうした特殊な能力にあこがれて惹かれる人もいます
そして特殊な修行などをして、超能力や霊能力を得ようとしたり、超常的な体験を積んで、自分は凄いのだと勘違いする事が多いのです
そうした人には現実世界では、たとえば仕事であまりうまくいかずに、周囲からの評価が良くなくて、それを心理的に補償しようとして、別世界のスピリチュアルな世界では、自分は認められるのだ、優れた存在なのだと思おうとするのです
実社会では自分は認められないけど、そうした自分への過小評価に耐えきれずに、スピリチュアル界など他の世界では優れた者だ認められることを願っているものです
こうした心理的補償というのは例えば学校では、勉強があまりできないと、それを補うためにスポーツで人より優れたところを見せたいと思う場合もありますし、勉強もスポーツもダメだと、今度はバンド活動など音楽の道で人気を得ようとしたりします
もちろん、自分の才能がそちらの方に埋まっていて、それを掘り起こすのは良いのですが、劣等感を補うためにしている事もあります
あるいはどれもダメな場合には、不良グループなどに入って、普通の生徒がしないような悪いことをして、それで優越感を得るような事もあるでしょう
そうした悪の世界ででも認められたいと思ってしまう事があります
そのように人間には承認欲求がるため「他人から認められたい、自分を価値ある存在として認めてほしい」と願います
それが通常の道で叶わないとなると、違った道ででも認められたいと思うようになります
霊能者にもそうした傾向がある人も多く、彼らのなかには、「私が唯一だ」とか、「特別な存在なのだ」とか、己惚れてしまうことも多いでしょう
何度か書いておりますが、慢心も自己卑下も、極端にぶれると、人は足を踏み外してしまいます
才能に酔いしれて、足元をすくわれる人もおれば、自己卑下の泥沼に足を取られて動けなくなる人もいます
ですので、極端な自己評価に陥っていないかを反省し、中道となるように心がける必要があります
15 件のコメント:
洪先生。今回の話も心理ならぬ霊理を考えさせられるものですね。
私は人生大して長くは生きていませんが、気になった事があります。
人々は負の感情を克服できるかです。
それらについての考えを記事にしてくれませんか?
【正義とは、善と悪にバランスをもたらすもの。悪に心が揺れるなら、いかに踏みとどまり善の道を探すか…。その探す行為が、正義ではなかろうか??。その為に神は人間に、智恵を与えた。】
この台詞はアニメ、ドラゴンボールの中で、地球・人間を見守る担当の存在の神界の見習いの神に、師の神が諭すように伝えた言葉です。見習いの神は、人間の愚かさや負、悪の部分が許せず、師に問いただしているシーンでした。
アニメでしたが、なかなか心に残った言葉でした。
何事も全て、【バランス】が大切ですね…。洪さんが何度も投稿して下さっている、ネガティブエネルギーとポジティブエネルギーのバランスですね。
どちらに偏ってしまうとバランスが崩れ、成長できませんものね。
霊能者を鵜呑みにしてはならないと、身をもって実感しております。ネガティブエネルギーに操られていないかどうか、そこを解ってくると無駄に、霊能者に依存などしなくなりますものね。
何事も自己の中に芯を持つことが、1つの強さとそしてバランス、中道を目指していたいですね。
いつも、ありがとうございます。
洪さん、こんにちは。
私も時々迷子になって、そういう能力を自称する方には、心を惹かれます。
その方には何故か違和感を感じていました。
答えを頂いたようですね、ありがとうございます。
記事を読ませていただき、なにか腑に落ちる気持ちになりました。
スピリチュアル系のブログを読んでいて、内容に違和感を感じることがよくありました。書き手自身は自覚していないのでしょうが、言葉の表現や端々から自己陶酔してる雰囲気が感じられて、ん?と思うことがあります。それってなんか自分だけの世界に引きこもっちゃってるような状態の気がします。
私も何人かそういう占い師に遭遇したことがあります。
大した能力がないのにお金を取るので抗議したらお金は返ってきましたが「あなたには何もわからないくせに」というようなことを言われたことがあります。
最近もありました。
1000円も払って何もないという結果で抗議したら「ないものにないと」いって何がおかしいの?と言われました。
まともにやっている人たちが多いですが中には大したことものないのに能力に目覚めたとか生まれつきとかプロフィールに書いて自慢するような輩がいて蓋をあけたら全然そんなことはなかったというのがあります。
陶酔しているのは間違いないと思います。
ただ本人たちはわかってないだろうし認めないであろうと思います。
そういう腹立たしい経験をしました。
洪さん、こんばんは。
わたしは少し前までこういった感情がありました。 でもなるべく人に迷惑をかけるまでにはしないようにしていました。 みえる・感じることは意味があることだと思っていたからです。 それは、それをうまく果たすことが出来なければ、いい効果が出ないのだと生活しながら感じていました。
見える・感じることを回りの人たちに、洪さんみたいに言うことが出来たらと思っていました。
でも、その時に、メディアに露出している有名な方々みたいに、お金をとることが自分の中では許せなかったところがあったので(つたない能力だからというのもありました)、そばにいる人たちが気を楽に出来るように、相談して来てくれたらなるべく答えるように今は生活の中で、自分の反省点とも向き合いながら生きています。
この先近い内に、今抑えているそれを、成長が実感できたときには、もっかい出すときもあるだろうなぁ、と思っています。
遠い過去の子供の頃のことなのでよく憶えてないのですが、「この世の中に絶対ということは絶対にない!」という言葉が、二重否定の核心的事実として自分の中にスーっと取り込まれたという記憶があります。たしかマンガか何かで出てきたセリフだったような気がしますが。それ以降「それは絶対に間違ってるよ!」とか「絶対許せない!」とか「絶対◯◯に違いない!」とか聞くと「本当にそうなのか?」と反射的に反応し、意識的に視点を変えて考え直してみるようになりました。
そうなると「主観」と「客観」の2極に妙に意識が向き、「慢心」「自己卑下」「優越感」「自己陶酔」などは、所詮自己価値観のスペクトルに過ぎないのではないか?と思えました。どっちに転ぶにしても、自惚れても、自虐的になっても、そういうところがすごく人間くさくっていいじゃん!そういうシーソーゲームの中で少しずついろんなことがわかっていくんだろうなと思えて、バカなことを懲りずに繰り返えしているこんな自分も少しは許せる気になって救われている気がします。中道って、意外と「深刻になり過ぎない」ってことに近いのかなあ?
トランプについて、色々なネガティブな見解を述べる人がいます。
でも今回の選挙で大切なのは、何が正しいというのでなく、それが今の「民意」だと知る事だと思います。
エリートが先導する社会に文句があるというより、エリート達が自分たちを万能と思い始めていた、その選民意識に度が過ぎてしまった結果、それが今回の選挙結果であると。
だから一度政治を動かすエリート達も、自分を振り返る良い機会であると思います。
横ですみません。私も幼い頃同じ事を考えた事を思い出しました。
私の場合、『「この世に絶対という事は絶対にない」が、それも絶対とは限らない』と1周してしまい、頭がこんがらがり考えるのを止めた記憶があります。
絶対は絶対ある/絶対は絶対に無い
最近は、どっちも正解だろうなぁと思っています。
コメントの返信は初めてなので迷いましたが、ちょっと面白そうだったので、少し。
『絶対』については私も考えた事があります。
私の、今現在の見解としては、(この地球レベルでの)現在とか、数日の間とか、10年くらいとか、自分が死ぬまでにとか、無意識に、または意識的に期限を決めている時に『絶対』は存在していて、永遠の歴史の中でとか、永遠の魂というレベルでは『絶対』は無いのかもしれないなどと考えたりいています。そういえば、『永遠』と言うのもあるのか無いのか・・・面白いですね。
獣系の低級霊に憑かれると、よくそうなるって言いますよね。宗教の教祖とかして組織化する時点で支配的で低級らしい。
でも我々が想像がつくような・・・人に慕って欲しい気持ちを、ありのままの自分では満たせないから。とかそういう善人のかわいいもんじゃなく、
闇ならではの人を支配して堕とすっていう凄まじいものだから成功するんだろうと思いますけどね。
普通の人の選民意識など、かわいいものじゃないでしょうか。またその普通の人の選民意識はバレて「あーもう、コラ〜!」って言われてテヘヘ!ってなるようなもんだと思うので、普通にしてていいと思います。
我々普通の人々が頑張った方がいいのは、浄化やお祓いや低級霊の憑いてる人の区別なのかも。。。
スクール生です。たまにほかのスピリチュアルブログを見ますが、神の声が聴こえるとか陶酔してますねどっか偉そうです。
納得です。
劣等感を補うものに飛びつくのは正しい方向ではないんですね。
大人になってからは、資格やほめられる職業ばかり憧れてました。
熱望するものでもないのに、そんな求人を探したり、資格勉強してみたり。
結構がんばってつかんだ仕事や資格だけれど、その後は意外と虚しい。
コロナ後には心に響くものを見つけたいです。
私もまさにそういう人でした。人生の前半があまりにも過酷だったため、何でこんな酷い人生なのか教えてくれる人を探しスピリチュアルにハマりました。特別な能力を持った人がいつか目の前に現れ答えをくれるのを信じて必死に探しまわりました。
けれど守護霊を3人にみてもらったら3人とも違う人が見えると言われ、前世が宇宙系だとたどり着いたものの私の出身星をプレアデス、アンドロメダ、と別々の星を言われ、それぞれ自分が絶対正しいと言って聞かない人達をみて誰か一人を盲信するのはやめようと思いました。
今は人の言葉は参考程度、真実は看板や本の一節や通りすがりの人の言葉などからキラリと光り、それを少しずつ集めていくようにしてます。たとえキリストでもブッダでも、一人の人が絶対的に正しいようには神様は作らないと考えています。
ブログの書かれてる事、ごもっともなのでございます。が、お写真がギョッとするほど怖いです((T_T))