アンケートにありました質問に答えてみたいと思います
Q、豊臣秀吉や徳川家康は、豊国神社や東照宮がありますが、沢山の殺生をしておいて、神になれているのでしょうか?
A、神様といいましても色々な種類がありまして、天地創造をされた創造主を現すこともありますが、人間として普通の人より優れたリーダーシップを持ち、指導力のある存在として神様として言われることがります
日本では八百万の神々と言って、実に多くの神様がいらっしゃることになっています
その日本で言われる神様は、西洋で言えば、天使に当たる存在と言えるでしょう
仏教でいえば、何とか天とか、菩薩や明王にあたるでしょう
仏教でも悪と戦うために、明王などは戦いの姿で現されていますが、洋の東西を他わずに戦神にあたる存在はおります
キリスト教でも天使長のミカエルは、手に剣をもって、竜と戦っています
日本神話でも、日本武尊などは、朝廷に歯向かうものを、時には騙し討ちまでしながら倒しますが、神様として祭られています
そのように、日本神話においても、戦神が登場し、神様として多く祭られています
結果的に人を殺めることとなっても、それによって多くの人が助かったり、大切なものが守られることがあるわけです
秀吉や家康にしても、彼らのために亡くなった人も多く出ましたが、逆に、彼らが戦乱の世を統一したがゆえに、争いがなくなった世の中が早く来て、また秩序ある世の中に戻った面があります
もしも、彼らのような優れた統一者が出なかった場合には、日本では戦乱の世の中がずっと続いて、より多くの人がなくなられていたと考えられるわけです
豊臣秀吉と、徳川家康が、神格を得ているかということですが、上記を読まれたら感じられるように、神様としての格を持たれている方たちではあるでしょう
3 件のコメント:
質問させていただいたものです。
記事にしていただいてありがとうございます。目から鱗でした。平和な世にするためにいた仕方ないことだったのですね。
豊臣秀吉に関しては、日本を統一したあと欲張って朝鮮を攻めましたが、そういうところがガッカリでした。朝鮮の人も日本人も無駄死にさせたわけですし、あんなことをしていなかったら歴史は変わっていたのではないでしょうか。
やはり家康さんの方が平和を築く才能に優れていたと思います。
自分がおもらししたときの絵を描かせて残すとか、普通の器じゃなかったんだと思います。
汚名を引き受け、口をつむり、後世の人々の平和を願った明智光秀さんの心も感じられます。