愛あるものとなるために
この世に生きて育つなかで、今まで生きて来れたことを偶然と見るか、意味のあるものと見るかで人生観は変わってきます
人がこの世に生まれたのは単なる偶然と思えば、なんら有り難さを感じないで生きるでしょう
自らが生かされ、育まれ、愛されている存在だと気づくからこそ、そこに感謝が生まれてきます
感謝が生まれ、自らが与えられていると知ることで、人へもお返ししようとする思いも沸いてきます
人生において様々なものを与えられてきたからこそ、お返ししなくてはいけないと感じるようになるのです
そうして人々へのお返しが愛ある行動となって出てきます
もしも満ちたるを数えることなく、足らざることばかりに目をやり、不平不満の心となるならば、その人は他人から奪うことばかりをしてしまうでしょう
同情をかおうとしたり、保護を求めて与えられることを願う者となります
人が生きるために、新鮮な空気があり、清い水あり、日は欠かすことなく毎日昇り、もっとも必要なる物はすでに与えられています
人はすでに与えられた様々の恩恵を忘れて、ついつい不足し足るものにばかり目がいってしまいます
愛あるものとなるためには、自らが多くの愛をすでに受けていることを自覚する事です
そこからお返しの念が生じてまいります
人がこの世に生まれできて問われるのは、人生において与えられることの多い人生であったか、それとも与えることの多い人生であったかです
与えられる以上に、世の中に愛を供給するものが増えたなら、この世は生まれ変わるのです
4 件のコメント:
洪さんのブログを通して、愛深きものとなるためにと繰り返し教えて頂いていることは、自分自身を振り返ることにもなり、とてもありがたく思います。
出来るところから少しづつの恩返しをと思っています。
いつも愛ある記事の発信ありがとうございます。
人間は神の子と言われておりますし、そうだと信じております。
神から与えられたこの命この人生に感謝し、同じく神の子である他が喜ぶことを考え行動する。
それが同時に神への恩返しになると思っています。
これからも出来ることやっていこうと思います。
愛ある人について
私自身、大変な時にたくさんの方から与えられてきたので次は私がお返しする番だと思い愛を与えて思いやりを持ち誰にでも優しくするよう努めてきました。そうしてきたつもりですが結局最後は本当に辛い時に誰も助けてはくれず、噂話の対象にされました。辛かったですが何年かかけて乗り越えてきました(でもこれがあったから様々な勉強、自分の理想を追い求める原動力にもなり、霊性を磨く勉強にもなり、以前より成長していると思います)
そして今は愛についてどう思うかと言うと一緒にいるだけで和むような人になりたいと思ってます。年配の知り合いに菩薩様のような方がいて正に愛そのもので、少し話をするだけでもこちらが愛に満たされます。その方は一瞬一瞬の思いが愛に満ち溢れている生き方をしているからそのようになられるのかもしれません。私も愛に満ち溢れた人になりたいです。
付け加えます
もしかすると愛ある場所を自ら求めて自分を置いておくことも必要なんじゃないかと思いました。殺伐とした場所にいて気づかないふりをしていた自分にも問題があったのかもしれません。その場所にずっといても愛ある未来が当然想像できないので場所を変わる勇気が必要だったのかもと思いました。
そして様々なスピの方たちが愛を唱えていること、究極は愛なのだと思います。そして大元は真実の愛ですが細分化していくと良いもの悪いものに分かれていってしまうのかもしれません。そこにお金が絡んでくるともっとややこしくなると思いました。
愛のことを忘れずに生きていきたいと思います。