幸運を引き寄せて逆に不幸になる?幸運と幸福の違い
アンケートで宝くじの高額当選をされる方や、多額の遺産を相続される人など、運が良いと思われる人についての質問がありましたので、今日はこの件について書いてみます
宝くじを高額当選される方などは一見すると運が良くてうらやましいと思う人が多いのでしょう
そうした人は前世で良いことを積んだとか、何かあるのかと質問がありますけど、一見して幸運とされるものを引き寄せていても、それが幸福であるかは別な問題であることがあります
突然に多額のお金が舞い込んだために、金銭感覚がマヒして散財してしまい、逆に苦しい生活を送るようになることもありますし、別な何らかの不幸を背負うことがあります
お金がたくさんあると、物なら何でも簡単に手に入ったりしますので、何かを得るときの喜びが薄れていくでしょう
ですので普通の人が苦労して手に入れた喜びを味わうことができますが、そうした感覚も薄らぐでしょう
そしていずれは必ずお金以外の別な課題が出てきます
例えば周りに集まる人はお金目当ての人ばかりで、真に 愛するものが出てこない場合があります
お金では解決できない問題が出てくるのですね
一般にそうした大金を手に入れることは幸運であり、それがすなわち幸福だと考えてしまうこともあるでしょうが、実際にはそうではなく、幸運と思われるものが舞い込んだために、その代価として背負うことになった課題に耐えられずに、逆に不幸となっていくことがあります
その人にふさわしい分の、あるいは器に入る分のものを得るのがよくて、それ以上を手に入れようとすると、どこかで無理が出て破たんしてしまいます
なので宝くじが当たるような、安易に手に入れようとするのではなくて、ご自身を磨いて、器を大きくするように心がけるのが良いと思います
幸運が不幸となることもあります 霊的にみる人生の逆転
上記で幸運と幸福は違うという話をしました
一見すると、周りの人からは幸運と思える出来事が訪れても、それによって不幸になることもあるのです
たとえば、学生さんであれば、良い学校に受かりたいと思って一生懸命勉強していたとします
幸運にも、目指していた学校に合格することが出来ました
しかし、その学校では優秀な生徒が集まっていて、ようやく入れたのにもかかわらず、成績が落ちてしまい、それで苦しみを生むこともあるでしょう
あるいは、学校を卒業して、希望の就職先に幸運にも入れたとしても、そこでは出世競争が激しくて、苦しみのもとになることもあるでしょう
または、幸運にも出世したとしても、今度は自分一人の力ではなくて、部下を使って仕事をしなくてはならず、人間関係のストレスで苦しむ人もいます
会社で落ちこぼれないように必死になって頑張っていると、家庭のことに手が回らなかったことから、夫婦の間が不和になったり、子供が愛情不足で反抗的になってしまうかもしれません
あこがれの異性と付き合えるようになっても、その人はモテるため、別な人と浮気を繰り返して苦しみを生むかもしれません
結婚するという幸せな出来事であっても、二人の生活や将来のプレッシャーなどから、ストレスで逃げ出す人もいます
お笑いタレントの又吉直樹さんが書かれた小説の「火花」は芥川賞を受賞して大ヒットとなり、たいへん幸運なことだと思います
栄誉な事でもあり、喜ばしいことですが、同時に、次の作品を描かなくてはならないといプレッシャーも、どんどん強くなってたいへんだろうと思います
小説家を目指す人であれば、芥川賞をいただけることは夢のような出来事でしょう
取りたいという願いが叶って幸運だと思えても、次の作品も期待されるプレッシャーもあるでしょうし、それだけで有頂天になってしまっていては、すぐに消えていってしまうこともあるでしょう
そのように、はた目からは幸運な出来事に見えたとしても、その人の能力を超えていた場合に、不幸のもとになることがあるのです
ひとは大きな欲をもって、それが叶えられることを願いますが、自分の実力と努力の積み重ね以上のものを望んでいると、それが苦しみのもと、不幸のもととなってしまいます
自分の器の範囲内で、努力に応じた分だけ頂けるように願うのが、本人にとっては幸せであるかもしれません
上記の話しとは逆に、不運に思えることも、実は将来の幸せにつながることもあります
偉人や成功者など、数々の業績を打ち立てた人の人生を聞いてみると、若いころに苦労をしたり、不運と思える出来事に遭遇しています
そうした不運と見える出来事であっても、それを糧として、あるいは克服して、成功をおさめていっています
不運は次の幸せの種になり、幸運は転落のつまずきの石になることがあります
どのような出来事が訪れても、その人の心の持ち方によって、未来への扉は違ってくるのです
幸せを求めて逆に不幸になる人生の逆説と生命の大樹
人間は肉体に宿って生まれて、自我を持って生きていきます
自我は自分を守ろうとする働きをします
周りから攻撃をされそうになると、それを回避したり、自分の利益となるものを人より先に得ようとする働きなどが自我の働きです
自我は私たち自身とイコールで考えられていますが、実際には偽物の我であり、偽我とも呼ばれます
あるいは小さな我である小我と呼んでもいいでしょう
私たちの本質のなかには、この小我を超えて存在する大いなる自己が存在しています
それは生命の大樹と繋がっている感覚を持ち、自己はその一部だという自覚を持つ者です
人は互いに他人のように感じて生きていますが、実際には根っこの部分で、魂は繋がりあっており、ひとつの巨大な生命の大樹を作り出しています
その中の一枚の葉っぱが、肉体にある私たちであり、その葉っぱが自分の利益だけを考えて、木の中を流れる樹液を独占しようとしたらどうなるでしょう?
栄養の流れが失われて、周りの葉っぱが枯れるだけではなく、自分にも新たな養分は流れなくなって、葉は枯れていってしまいます
自我の働きとはそのように、自分だけよかれとして、利益を独り占めしようとする働きのようなものです
自我の働きが強くなると、いつしか自分に回ってくる幸せも減っていき、逆に不幸せな境遇におちいって行くのです
人々がお互いに愛し合い、支えあっていくことで、幸せのもとである養分は円滑にめぐっていき、どんどんと増えていきます
人の幸せを思ってしていくことが、実は自分自身の幸せに通じていきます
自分が自分がと、自我に振り回されて己の欲ばかり振り回していると、かえって幸せは減っていき、人の幸せを考えていくと逆に幸せは増えていきます
このように人生の逆説があります
なかには、自分は長年、夫のために尽くした、子供のために尽くしたが、ちっとも幸せになれなかったと嘆く人もいます
ですがそれは、相手の幸せを願っていたのではなく、自分のために相手にしていたということです
ほんとうに相手のためを思っての行為だったかは、いずれ返ってくるもので分かります
6 件のコメント:
遠い親戚や知り合いの知人などの、莫大な遺産や資産について話を聞く機会があり、 タイムリーな話題でした。
お金はその人にふさわしい額を持つのが一番です。
お金の無い苦労をするのは辛いものですが、あまりに大きな額を急に手にすると、欲をコントロール出来ずに、自分だけではなく周りの人まで巻き込んで不幸にしてしまう事があると思います。
相続にしても、宝くじにしても、使い方でその人の本質が試されるような気がします。
ちなみに私は金銭感覚が分からなくなってきた時は、少ない額でやりくりしていた小学生の頃のことを思い出すようにしています。
今の時代は特に物質的価値観に執着する人が多く、それにより様々な弊害が生まれてきています。
僕は【足るを知る】という言葉が好きで、あまり多くを求めず、現状に満足する意識を持つように心がけています。
衣食住を最低限得るのにそれほど多くの金銭は必要ありませんから。
現状に満足する意識を持つように心がけるのはとても大事なことだと思います。でも発展の余地があるのに、現状に満足しているからと言って頑張らないのは ただ怠けてるだけだと思います。
洪様
こんばんは。毎日楽しみに拝見致しております。
本日のテーマ…以前よりずっと知りたい内容でした。
我が家も相続で揉めています。義父は長男である主人ではなく嫁いだ娘に渡したいとの事で。義妹は余程前世で徳を積んで来たのかな…といつも思っていました。
分相応、とても大切ですね。
この内容また教えて頂きたいです。
よろしくお願い致します。
欲望とうまくつくあって億単位のでっかい立派な器にしていきたいと思いました。それでも生きていく上で5億円以上はいらない!そう思います。