今日はマザーテレサ2度の奇跡認定というニュースが流れましたので、彼女について書いてみます
マザー・テレサは有名な修道女です。1946年、汽車に乗車中に「全てを捨て、最も貧しい人の間で働くように」という啓示を受け、神の愛の宣教者会を設立。
飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人、のために働くことを目的とする。
彼女については最近よく本当は怖い人だったとか。素顔はブラック?などという話があがります
以前にも書いたことがあるかと思いますが、世の中には、良いことをする人には極めて厳しい批判をする一方で、悪い人には寛容な部分があります
それは世の中ではネガティブな影響を受けている人が多いため、こうした逆転する判断が広まることが多いのです
マザーテレサについて批判しているものの中に実はネガティブなものが潜んでいることがあるのですね
彼女の言葉を以下に紹介いたしますので、言葉から伝わる波動を感じていただければ、どのような方だったかわかるかと思います
人はしばしば
不合理で、非論理的で、自己中心的です。
それでも許しなさい。
人にやさしくすると、
人はあなたに何か隠された動機があるはずだ、
と非難するかもしれません。
それでも人にやさしくしなさい。
成功をすると、
不実な友と、
本当の敵を得てしまうことでしょう。
それでも成功しなさい。
正直で誠実であれば、
人はあなたをだますかもしれません。
それでも正直に誠実でいなさい。
歳月を費やして作り上げたものが、
一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。
それでも作り続けなさい。
心を穏やかにし幸福を見つけると、
妬まれるかもしれません。
それでも幸福でいなさい。
今日善い行いをしても、
次の日には忘れられるでしょう。
それでも善を行いを続けなさい。
持っている一番いいものを分け与えても、
決して十分ではないでしょう。
それでも一番いいものを分け与えなさい。
導いてくれる人を待っていてはいけません。
あなたが人々を導いていくのです。
一切れのパンではなく、
多くの人は愛に、
小さなほほえみに
飢えているのです。
大切なのは、
どれだけ多くをほどこしたかではなく、
それをするのに、
どれだけ多くの愛をこめたかです。
大切なのは、
どれだけ多くを与えたかではなく、
それを与えることに、
どれだけ愛をこめたかです。
もし貧しい人々が飢え死にするとしたら、
それは神がその人たちを
愛していないからではなく、
あなたが、そして私が
与えなかったからです。
7 件のコメント:
はじめまして。いつも拝見させていただいてます。ありがとうございます。マザーテレサの言葉は大変共鳴します。私の人生に彼女の施しの人生が一瞬でもありますように日々邁進します。
長きに亘って実行されてきた方の言葉ですので、力を感じます。
また、ワンダラー・スターシードとして目覚めつつある私たちにとっては厳しいお言葉とも受け取れます。
日々の雑事に追われて忘れがちになる大切なことを思い出させて頂けた文章でした。
今日のブログは、折々に先人たちの言葉にふれて自らを省み、軌道修正しながら「人々を導いていく」己にならなければならない、そう強く迫られているようなメッセージのように感じました。
素晴らしいお言葉、ありがとうございました。
この方の、全てを捨てて、何も持たない人々のなかに飛び込んいく勇気の源であったのが、神への信仰なのですね。
生涯ぶれなかった、その強い信仰心と行動力、感化力に感動するばかりです。私は、沢山与えられていながら、どれだけの愛を与えているのか。そう思いますと、ため息が出ますが、この素晴らしいお言葉を心に留めて、日々、大切に生きたいと思います。
いつも、目に見えない世界を教えてくださって、ありがとうございます。
最後の章節にきてゴンッと厳しい人間愛の叱咤と尊さで打たれた感じです。今の世界の不幸な出来事や不幸な人々をそのまま不幸においているのは私たち全ての大人達なのですよね。手をかさないまでも他人事でただ気の毒がっているだけでは悪者と同罪だと。マザー・テレサさんの人生は、人として生まれてくる最高水準の目標達成なのだと思います。ほんの微小でもなにかしらやり続けなければと思います。このこと いつも忘れないようにしなければ…。
涙があふれ胸が熱くなりました。とてもとても振動数の高い(細かい)波動を感じます。
これは、目にジワッと熱いものが来ました。
スピリチュアリズム普及会のサイトの中に、マザーテレサの「心の闇」について、かなり長い記述がありますね。読まれた方も多くいらっしゃることと思います。私もこの度改めて読み返してみました。
記事の内容は真実であろうと思います。 ひとりの人間、何よりもひとりの女性としてイエスの愛をひたすら求め苦悩していた、マザーのある知られざる一面が浮かび上がります。純真で素朴、そして何と愛すべき女性でいらっしゃったことでしょう。叶わぬ(・・と思い込んでいた)想いは霊界では解き放たれ、イエス様の大いなる愛のもと、更に霊力を増しながら地上の私達を鼓舞し続けて下さっているのですね。心が熱くなります。為すべきことは身近にありますね、きっと。