臓器移植と憑依の関係
アンケートで臓器移植についていくつか質問がありましたので書いてみます
ひとつめはご自身が亡くなった時に臓器移植をされることについて
人は亡くなって直ぐはまだ肉体と完全に分離されておらず、肉体の感覚が伝わってくるようなのです
私の母が数年前九月に亡くなったのですが、その時に初めに伝えてきたのが、「背中が冷たい」ということでした
実はまだ暑い時期であったために、葬儀屋の方が、遺体の下にドライアイスを敷いていたのです
心臓は停止しておりますが、肉体と魂をつなぐ霊子線=シルバーコードというのがあって、それが亡くなってからすぐは繋がっているため、肉体感覚が伝わるようです
ですので臓器移植として亡くなって直ぐに遺体を切り刻むと、痛みが伝わってしまう可能性があります
つまり麻酔もかけずに臓器を切り取られるような痛みを感じてしまう恐れがあるのです
そうしたこともあって、古来から通夜という習慣があるのだと思います
通夜というのは仏教だけではなく、神道やキリスト教にもあり、すぐに埋葬したり火葬せずに、遺体を一夜置いてから葬儀をします
これは古来から肉体から魂がしっかり離れるのに、一日ほどかかることを知っていたからでしょう
臓器提供については、故人がすっとあの世へと旅立つ妨げとなる可能性があるため、おすすめはいたしません
また、心臓移植を受けられた方が、臓器提供者の性格や嗜好が移るという現象のあることをテレビでしていましたが、これは憑依によるものと思います
亡くなられても、臓器の一部はまだこの世にあって活動しているので、それをとっかかりとして、移植者の体に潜り込む形で憑依しているのでしょう
通常の憑依とは違って、一部であっても故人の肉体の部分が活動しているため、影響が強く出て、離れることも難しいでしょう
臓器移植については、人間は肉体のみの存在という唯物論の観点にたって考えられているため、霊的な視点がすっぽり抜けてしまています
スピリチュアルな視点で臓器移植を考える
臓器移植の是非について書いてみます
臓器移植については唯物的な医療の視点から検討されていて、霊的な問題点は考えていないのが現状でしょう
まず臓器を提供される方の問題ですが、病院で脳死判定をした患者から臓器を取り出されています
こちらの問題として、脳死ははたして人の死か?という問題があるでしょう
唯物的な観点から、脳が停止して、考えられなくなった時点で、人間は死んだものと見なすと思っているのでしょうが、実際には魂があって、脳死の段階ではまだ肉体と繋がっていると考えられます
脳死の方であっても家族が見舞いにきたら血圧が上昇したり、涙を流すなどの反応を見せると言うことがあるそうです
当人は意識はあるわけですから、それをなんとか伝えようと必死になっているのでしょう
自分はまだ死んでいないと必死に伝えようとするわけですが、まわりはもう死んだものと見なそうとするわけです
なんとか知らせようとしても無理で、そうした状況の中で死んだと思われて肉体を切り刻まれて臓器を取り出されたら、魂のほうにそうとうショックを受けられるだろうと思われます
死後にスムーズに霊界に移行するのが難しくなるでしょう
それと臓器提供を受けた方について、以前より性格が変わるとか、趣味や好みが提供者に似てくるといわれています
それは臓器にも記憶があるのではないかと考えたりしているようですが、実際には臓器提供者が、その臓器と共に憑依をしている状況であると考えられます
憑依すると言うことは成仏されてない方という事ですから、そうした方と魂が通じながら生きることで、浸透しあってしまうことになるでしょう
臓器移植についましては霊的観点からは現在のところ様々な問題点があるように思われます
臓器移植で記憶が移る?
テレビを拝見していますと、心臓移植を受けた方が、その後に趣味や性格が変わったり、運動能力が変わるなどの話がありました
いずれも臓器提供者の生前の性格や性質に似た変化が訪れるというものです
たとえば、今まで運動を全然していなかった人が、心臓移植を受けて、その後にトライアスロンに出場するようになり、次々と優勝したり、好成績をあげたという話を番組で取り上げていました
あるいは提供を受けた人と、提供者の家族が会って、その時に提供者の家族しか意味の通じない単語を、その提供を受けた青年が語ったなどの話をしていました
これは現代医学からすると無視されるか、あるいは臓器にも脳神経に似た何らかの記憶があるのではないかと考えるくらいかと思います
実はこれは、一種の憑依現象が起こっているものと言えます
臓器提供者が、まだその人の心臓なり、臓器の一部が別な人の身体で生きているため、その臓器とともに、同じ肉体に入り込んでいると考えられます
それで臓器提供者の性格なり、記憶の一部が出てきているのでしょう
たしかに提供者の肉体の一部は、まだ残されて活動していますので、あの世に旅立てずに憑依してしまうということはあると思います
本人にとっては正当な理由があると主張出来るでしょう
医学が発達した分、霊的な事実は取り残されていますので、混乱が起こっているように感じられます
科学の発展とともに、もっと霊的な真実が知られていくべきなのだと思います
霊的に見る脳死と臓器移植の問題点
前記事では臓器移植後に、性格や記憶まで移行するような現象のあることを取り上げました
そこで質問もいろいろありましたので、さらに掘り下げて書いてみます
現代では医学が進んだ所はありますが、同時に霊的な観点が抜け落ちてしまい、肉体だけがすべてだとする唯物論、あるいは唯脳論が支配的です
なので脳の機能が停止した段階で、もう人の機能は無くなった、ただの肉の塊のように認識しているように思われます
ですが真理の観点からすると、人間は肉体に宿った魂が本質であり、肉体の機能が一部失われても、魂はまだ肉体に宿っているのです
ある男性が脳死判定されて、医学的には死んだとされているのですが、そのご両親が来られると心拍数が上がったり、涙を流したりしたそうです
そのような状況で、まだ意識があるのではないかと感じられるでしょうが、医者からは死んだものとされて説明を受けられたという話があります
脳神経外科医であるエベン・アレクサンダーさんは、脳炎にかかって、脳が炎症で腫れていて、脳は働いていない瀕死の状況を経験しますが、実はその時に臨死体験をされていたと報告し話題となりました
医学的には脳の活動は停止し、意識は無いはずの状況なのに、本人は意識がある体験をして、死後の世界を垣間見たと述べています
脳神経外科医であったので、ご自身が臨死体験を経験する以前にも、患者さんが同じように臨死体験を語ることもあったようですが、一笑に付していたようです
そのように自分が経験しなければ分からないという人間がほとんどでしょう
また脳死判定をされた後に、意識を取り戻したという事例はいくつかあります
もしも脳が停止すればそれで終わりだという考えのもとに臓器移植をしているなら、真理に反していると思います
前記事では臓器移植でドナーの性格や記憶が移るというのは、実は憑依のように、ドナーの霊が移植された臓器とともについていると指摘しました
これは臓器によってそうなるか違いもあるように思われます
よく悲しくなった時など、胸の中央あたりがギューっと締め付けられるように感じますが、魂と肉体のつながりのうちで、胸の中央あたりに強くあります
普通こころが何処にあるかと聞かれたら、頭をささずに、胸の中央あたりをさすのではないでしょうか
この近くにあるのが心臓で、それ故、心臓の移植では特にドナーの霊も移ってついてくるということが多いように思われます
他の臓器でも起こり得るでしょうが、心臓はとくにそうなる可能性が高いように感じられます
亡くなられたドナーの意思によって、そうした憑依せずに、浄化できるかどうかですが、まったく無執着の境地で、肉体はあくまで魂の宿る器であると自覚し、肉体を刻まれる苦痛や恐怖に十分耐えれるなら、可能性はあるのではないでしょうか
ただそんな人間がはたしてどれだけいるか難しいところです
仏教では捨身飼虎(しゃしんしこ)という話があります
これはお釈迦様の前世の話とされるもので、お釈迦様は前世で餓えた虎の親子に出会い、哀れに思って自らの肉体を投げ出し、その虎の食料として供されたという話です
臓器移植をされるドナーの方も、それだけの覚悟をお持ちであれば、私がどうこう言う立場にはありません
移植の時には麻酔もかけられないでしょうから、生きたまま体を刻まれても動じない心境であれば、憑依せずに浄化されるのではないでしょうか
それだけの覚悟の無い方は、やはり止められたほうが良いように思われます
また臓器移植にはいろいろと問題も含まれており、臓器売買が闇商売となり、中国では死刑囚の臓器を密売したり、法輪功という宗教を信じている人を捕まえて、臓器を取り出して販売するようなことも行われていると聞きます
脳死をまって臓器移植がなされる際にも、先に脳死判定後に意識が戻った話をしましたが、移植したいがために、脳死の判定をゆるくして、回復する可能性のあるケースも潰されてしまう可能性があります
ただ臓器提供を待ち望んでいる人はたくさんいらっしゃるでしょうから、それを否定することは私にはできません
そうした霊的な事実があることを知っていただき、各自で判断していただけたらと思います
4 件のコメント:
納得いたしました。ありがとうございます。脳死状態の方から臓器移植をするとき、麻酔をかけてから手術をするという話を最近知り、なんとなくぞっとしました。
個人的には、人の臓器をタダで仕入れて、莫大な利益を生み出す臓器移植ビジネスに強い違和感を感じます。
臓器移植の場合はわかりましたが、輸血の場合はどうなんでしょうか。同じ他人の細胞の集まりですが。
私も臓器移植後の憑依現象については支持する考えです。幸い臓器移植が必要な疾病とは今のところ無縁ですが、もしその立場になったら死を受け入れるつもりでいます。逆に自分からの移植は輸血すら一切やらないつもりでいます。何故なら輸血も広義の意味で臓器移植と変わらない考えです。