以前に載せましたスピリチュアルメッセージを再掲載いたします
不調和な思いは、心に煤と埃とを撒き散らし、まるで煤けた窓ガラスが日の光を遮るように、守護の天使からの光と愛情を遮り、孤独へと陥ります。
光の遮られた者は、加護を得られずに、さらなる闇へと降りていきます。
光の射さないのは光のせいではなく、煤や灰にて心を曇らせた人間の責任です。
日々謙虚に己を見つめ、悔い改めて窓を磨くなら、光はさしこんでまいります。
窓を磨くとはいかなることか。
日々ひとりにて静かに座し、自らの至らなさ、こころに思った過ちを悔い、許しを求めることです。
そして日常の生活において時々刻々こころに去来する思いを見つめ、正しき思いかを守護する者と対話しなさい。
「私は守護する者の姿など見たことが無い、声など聞こえない」と特殊なことのように思われるかもしれません。
守護する者の声を聞くとは、自らの良心の声を聞くということです。
何も特別なことでも、特殊な能力のある者だけが行うことでもありません。
自らのエゴをおいて、公平なる視点から、良心の声ははたしてどのような言葉を投げかけるだろうかと考えてください。
彼らはたえずあなた方に助言し、援けようと声をからして訴えておりますが、あなた方が聞く耳待たなければ、無力となってしまうのです。
10 件のコメント:
こんにちは、とても興味深い記事ばかりで楽しく読ませてもらっています。
スピリチュアルブログを見ていていつも思うんですが、辛いときほど助けて欲しいと思ってしまいます。
助けてもらいたい気持ちでいっぱいだと守護してくれる存在の声がわからないならどう冷静になればいいんでしょうか?
いつもドツボにはまってしまいます。
どうも ありがとう。
不安な思いから暗い闇に心が引きずり込まれることもありますが、そんな時でも守護者はじっと見守ってくださってるでしょう。
皆がそういう存在をハッキリと感じ取り且つ視ることができる時代が来るといいでしょうにネ。
霊界と地上界との相互作用がもっと明確に分からないといけませんね。
洪さん、 期待しています。
光を遮っているのは自身だとわかっていて、変えよう、変わりたいともがき、反省し許しを求めても、意識を変換することが難しいと。変わりたいのにまたここに舞い戻ってしまうと感じる時にはどのように想いつとめるべきでしょうか。
その時には、また祈り、反省しを繰り返しながら一歩づつなのでしょうか。
誰しも
今までは守護天使に見守られているかどうかはあまり意識していなかったのですが、このごろ良く数字の333とならんだゾロ目をよく見るので、気になって調べたとろ守護天使があなたの側にいつもいて、見守っていますよ。という意味だそうです。他にも2222と4つならんだゾロ目や111もよく見ます。本当ここ数ヶ月の間にです。ゾロ目は何かを知らせている、と理解して、いいのでしょうか?それと、何年もの長いあいだ、私がこの世に生まれた意味、この運命の下に生まれた意味を知りたくてずっと悩んでいたのですが、年末にふと頭をよぎったのが、私の今世の魂の目的は『自立』なのではないかな、、と思いました。その瞬間何か吹っ切れたようなスッキリした気持ちになり、目的がはっきりしたから、あとはいざ進むのみ!という決意というか、思いが生まれてきました。
自分で何とかしていこうと考えていたなら、天も助けてくれるようになるでしょう
こんばんは
いつもありがとうございます
人の意識があがっていったら霊界の繋がりにも気づいていくのでしょうね
紙一枚ぶんずつ人は向上しているのですね
努力していくことを習慣化させて向上していくのが必要と思います
こんばんは
そうですね
私も人生の転機などによく連番の数字を見ましたよ
シンクロで合図を送っているのですね
昨日に続き本当にありがとうございます。
少し動きが見えてきた気がします。
なんとか今の自分の難局を乗り越えられそうです。
ありがとうございます。
自分のことだけを大切にしている限り、本当の幸せも、お金も、愛する人も、あたたかく満たされる思いも、残念ながら永久に手に入りません。
でも、周りの人たちのことを大切にし始めたら、その瞬間から、本当の幸せも、お金も、愛する人も、あたたかく満たされる思いも、惜しみなく手に入るようになります。
なぜならエゴは、神のあたたかさを完全にシャットアウトします(エゴは神より自分のことを大切にしているからです)が、
エゴがなければ、(私たちはエゴのせいで気付いていませんが)神が24時間365日常に与え続けている惜しみないあたたかさを、そのまま素直に受け取ることができ始めるからです。
ではその、やっかいな『エゴ』とは何か…
それは、『下心』です。
ここでいう下心とは、『お金が欲しい、認められたい、有名になりたい、贅沢がしたい、とにかく他の人より自分さえ良ければいい』などの、自分中心の思いのことです。
自分中心の思いは神の思いと全く違うので、(たとえ神が助けたくても)神のあたたかさを勝手にはねのけてしまいます(まさに水と油のように…)。
だから自分中心の方は神に助けてもらえず、全て自分で判断して戦わなければならなくなるため、とても苦しまなければなりません。
あるいは神が魂に与えている『望んだことを現実化する力』を『引き寄せの法則』などとかたってお金儲けなどに悪用するため、周りの方を巻き込んだり思い通りに動かしたりして大きな弊害を生んでいます(本来この力は、みんなにとって良い結果になることにしか使ってはいけません)。
では、『どうしたらエゴを捨てて、神に助けてもらえる生活ができるようになるのか』。
それは、『神が毎日、惜しみなく与えてくれる空気や水、太陽のあたたかさなどに心から感謝し、自分だけでなく周りの人たちのことも大切にし、周りの人たちとともに協力しながら・思いやりながら生きること』でのみ、実現します。
これが、神に守られるパスポートです。
この『神のパスポート』を持っていない方は『エゴのパスポート』を持たれた方なので、(たとえ神が守りたくても)エゴにシャットアウトされるので、神は全く守ることができません。
『神のパスポート』を持つのか、『エゴのパスポート』を持つのか。
あるいは今持っている『エゴのパスポート』を『神のパスポート』に更新するのか。
決めるのは私たちです。
神は私たち人間の魂に一切の自由を与えていて、『自分のことは自分で決める+(その代わり)決めたことの責任は自分で取る』という神の法則を破られることはないからです。
ただ、この神の法則はとんでもなく緻密で精密で完璧ですから、どんなにこっそり悪いことをしても神は全てをそばで見ていますし、(あらかじめ定められている神の法則の設定に従って)悪いことをした反作用を自動的に・必ず受けるようになっています。
でも、みんなが神を信じずバカにしている今この瞬間も、私たちの心臓を動かす力を神は魂に与えていますし、体中の細胞が正しく動くように維持する力も魂に与えられています。
だから、この神を敵に回すのは本当に恐ろしいことです。
神は私たちの心臓を止めることも動かすことも思い通りですし、癌や障がいを作るのも消すのも思い通りです。
(健康な体に全く感謝しないで自分中心に生きる周りの人たちの学びのために、あえて大切な役目として自分に病気や障がいがギフトとして与えられることもありますが)
でも、神は(自分のエネルギーをちぎって作った、自分の大切な子どもである)私たちのことを今も本当に愛していますから、みんなが全く信じずに・みんなからバカにされていても、私たちから空気や水や太陽を奪うことなく、心臓も動かし続けてくれています。
そしてさらに、今の世の中でエゴにとらわれ苦しみ続ける魂たちを見かねた神が、ついに、私たちに直接、言葉をかけることを許してくれました。
それが、洪さんのような純粋で素直な方に与えられる言葉です。
ですから洪さんがこのような稀有な言葉を無料で掲載してくださることに、心から感謝いたします(*´꒳`*)