インド独立の父とされるマハトマ・ガンディー氏は、非暴力主義で有名です
彼の思想に共鳴する人も多く、そうした方は、防衛などに関しても抵抗があるでしょう
ただし彼はこうも言っています
「わたしの信念によると、もし、臆病と暴力のうちどちらかを選ばなければならないとすれば、わたしはむしろ暴力をすすめるだろう。インドがいくじなしで、はずかしめに甘んじて、その名誉ある伝統を捨てるよりも、わたしはインドが武器をとってでも自分の名誉を守ることを望んでいる。」
それはさておき、ガンディー氏が神からの使者であることは間違いないと思います
一方で、フランスにはジャンヌ・ダルクという聖女が登場しました
彼女は若い女性でありながら、神からフランスを救えという啓示を受けて、フランス軍を奮い立たせ、イギリス軍に重要な局面で勝利しました
彼女の働きは何だったのでしょうか?
ジャンヌがいなければ、フランスという国は無く、イギリスの領土になっていたかもしれません
ですが和平を進めていれば多くの死者を出すことなく、済んでいたでしょうが、彼女の活躍によって、フランス人にもイギリス人にも多くの死者が出たのは事実でしょう
ジャンヌに率いられて戦って死んだ敵のイギリス人にだって熱心な信仰家や、善良な人々はいたでしょう
彼女は19歳で火刑にあって殺されましたが、当時の人には魔女のように彼女を見る人が多かったのでしょう
では、これだけ彼女によって亡くなった人が増えたので、やはり、彼女は魔女であったのでしょうか?
そうではありません。彼女もまた、ガンディーと同じく、神に導かれた人だったのです
ガンディーとジャンヌ、二人は一見すると真逆の人生を生きたように見えます
一方は非暴力の活動で独立運動をし、もう一方は戦いにおいて独立をはたしました
ですが、どちらか一方が正しくて、もう一方が間違っているということではありません
どちらも神の意思を体現しているのですが、地上の人間の認識力では、両者が矛盾していて、どちらか一方が正しいように見えるのです
真理というのは立体的なありかたをしているのですが、わたしたち人間には、平面的な理解しかできないため、まるで神様は矛盾しているように見えたり、どちらかが間違っているように見えます
「宇宙の兄弟たちへ」というメッセージを書いたことがありますが、そのなかでも、個性や価値観の違いによって、お互いに正しさを含みながらも対立しあうことがあると書きました
お互いに正しさを含んでいても、この地上では対立して現れてくることもあるのです
現在は日本の防衛についても、非暴力のガンディー的な発想と、ジャンヌ・ダルクのような発想とが日本で対立しているようではありますが、必ずしも思想としてどちらか一方のみが正しくて、片方が全面的に間違っているということではありません
日本の置かれている環境と、その時代と、国を動かしている人物によって、必要性は変わってくるという事です
ですので時代性や日本の置かれている国際環境など冷静にみつめて対処していかなければなりません
8 件のコメント:
対立してぶつかるのは二元性の世界だから当然起こりうる結果だといえます。
そのぶつかるということを私達は学ぶために転生をしているのではないですか?
戦う・戦わない、どちらが正しいかではなく、どちらを選択したかじゃないでしょうか。
現象に正しいも悪いもないと思います。
どちらを選択するかは生まれてくる前に、個人個人で課題として設定したのかもしれません。
何度も転生している間に、戦いまくり人を殺す人生と、戦わずに殺される人生、両方経験してると思うのですよ。
色々学んだ上での今世の選択です。
自分の魂の学びに必要だから選んだ選択ではないかと思います。自分の考えと相容れないと意見したくなるものですが、それぞれが自分で選んだ道であり自分の課題なのでお互い尊重するべきことであって干渉すべき事柄ではないと思います。
片方が、貴方は甘い、自分が正しいと相手に押し通すことは相手をコントロールすることにも繋がりますので、これは一種のネガになると思います。
彼の戦いは、独立のための戦いです。ここは、ジャンヌもガンジーも同じでしょう。
でも、日本のは、どうでしょうか?
独立とは、守る意思をもって、守るものであるということを考えているのでしょうか。
こんにちは
いつもありがとうございます
そうですねあまり押し付けないように注意したいと思います
日本の置かれている状況とガンディーやジャンヌの時代のインドとフランスとの状況の違いということでしょうか?
ちょっとコメントの趣旨が読み取れなくてすみません
ここでの意見は、ブロガーさんもコメント寄せる人達も皆、ただそれぞれが意見を述べるまでであって、相手の考えをねじ伏せて変えようとかどうとかの実質的干渉行為までには至っておりませんよ。
ただ、物事によっては、より公義の目的に近いものとそこからかけ離れてしまうものとが出て来るでしょう。
天宙的な善の定義と悪の定義は、必ずあると思います。
個々人の選択には色んな背景が絡み合っているものですので、大きな視点で見なければならない時もあると思いますが、やはりその考え・行いが最終的に天から見られて良しとされる範疇であるのか、良しとされない範疇になるのか、 ある程度の判断は人間でも出来るものではないでしょうか。
良い・悪いの範疇は、あります。
そうでなければ、極端なお話になりますけれども、この世に裁判所も警察も必要ないんだということになってきますね。
そんな混沌とした世界で生きて行くのでしょうか?
こんばんは
貴重なご意見ありがとうございます
へんな書き方をしてしまってごめんなさい。もう一度書いてみます。
ガンジーは、イギリスの植民地から祖国を解放することを目的として、
非暴力という手段を選び、
ジャンヌダルクは、いま、祖国の独立が失われる危機であるというときに、祖国を守る目的のために、剣を持って戦うことを手段として選びました。
手段は違いましたが、目的としては、
国を守りたい、国を取り戻したいというものでありました。
しかし、日本において、不戦を支持する人というのは、
国を守るという目的意識はなく、
不戦そのものが目的となっているように見えてしまいます。
なので、日本のケースは、不戦という行為と、日本が独立国であるという状態護持の
どちらを目的として選びますか、
といったことからはじめないといけないのかな、と思ったしだいです。
はじめまして。ジャンヌダルクについて、知りたいと思いましたら、導かれるように、こちらにたどり着きました。ガンディーも、ジャンヌダルクも、神の体現なのですね。どうもありがとうございます。