2014年4月24日木曜日

エジプトの神は宇宙人だった!?異形の神々が意味するもの



エジプトや世界の神話に出てくる異形の神々は、人々の想像などではなく、古代に現れた地球外生命体・宇宙人の姿を現したものだと思います




昨日の記事でアメリカの大統領であるバラク・オバマ氏の霊的な姿を描写いたしましたが、それを読まれた方から、エジプト神話のアヌビス神を思い浮かべるというコメントをいただきました


エジプトではアヌビス神は、医療の神として、ミイラを作る神と言われています

アヌビス神以外にも、エジプトには様々な異形の姿をした神々が存在しています

猫の姿をしたバステト神や、隼の姿をしたホルス神など、動物のような姿をした神の意味は何でしょうか

一般には古代のアニミズムで、動物や自然の能力を崇める、自然崇拝から動物の姿を神として崇めていたのだろうと考えられています

動物の持つ能力を崇めていたこともあったでしょうが、私は古代に地球へと降りてきた異星人の姿を現しているものもあると思います

エジプト以外にも、異形の神々の神話や、先祖が猫や犬などの動物だったとする民族もおりますが、これらは古代の宇宙人の姿を表現するのに、地球にいる似ている動物の姿を模したものだったのでしょう

沖縄の与那国島にも、先祖の女性と犬との間に子供が生まれたという伝承があったり、房総半島にも里美八犬伝の話がありますね

余談ですが、おそらく、沖縄から南九州、四国、そして房総半島まで、古代において黒潮の流れによる海路で交易があったのだともいます

動物が先祖であるとする話のルーツには、かつて異星人として地球へ降り立った者たちが、地球へと生まれ合わせたことを物語っているのではないかと思います

実際に民族によっては、自分たちの先祖は宇宙から来たとする伝承を持った方たちが存在いたします

古代において地球へと降り立った宇宙の兄弟たちの物語が、異形の神話として残されたり、先祖の話として語り継いできたのでしょうね

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7 件のコメント:

  1. 日本で語られる神話の中の神々も、宇宙人だったという説が巷で流行っています。
    (神道で天皇を神とするというのも、そういう歴史からという説ですね!)

    そして宇宙人が地球に一番最初に国を作ったのが日本国だという説があります。(^^♪

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    1. そんな説が流行っていましたか

      日本神話の神々の中にも宇宙からの訪問者はいらっしゃるでしょうね
      このブログでもニギハヤヒの神や源平合戦の記事で書いたことはあります

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  2. 色々な星から入植して来たのでしょうね。
    地球は今現在もどこの宇宙連合にも属さない単独惑星だという話を聞いたことがあります。
    太古から様々な星から来た宇宙人の実験場のように使われてきたんじゃないでしょうか。
    こんな有様になってしまったので不可侵条約でもできてるんじゃないかとも。
    ならば表立って地球人に直接関与できないことにも納得できますし。

    転生してくる宇宙人はワンダラーのように地球人と地球のために尽くそうという善意溢れる方々だけじゃなく、中には冒険しに来ているだけの宇宙人もいるんじゃないかとも思ってみたり…。
    思考もエネルギーなので周波数が合う者同士、宇宙ならすぐに繋がるじゃないですか。
    それに比べると地球に転生したらミソスープ状態で、もう音信不通覚悟でしょうし、下手したらカルマ背負ってやり直し(帰れない)になるので、かなりの冒険なんじゃないかと思うんです。

    朝からちょっと妄想も入りました…
    シムアースという惑星を育てるシミュレーションゲームがあります。なんらそれと変わらないんじゃないかという気が最近します。
    宇宙人がリアルシムアースをプレイしてる…

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    1. この件については以前にちらっと書いたことがあります

      色々な宇宙人がいますので、それぞれに思惑は違いますね

      この星を愛と光に満たそうとする存在もいれば、単に実験場としか見ていない存在もいます

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  3. 宇宙というのは外に有る様に見えていますが、実は人間の心が作り出しているものだと言います。

    だから人間の数だけ宇宙が存在していると私は思います。

    共通の意識があるから同じものを見ている(創り出している)様に感じられるので、なかなか人間には見破れないのだそうです。

    物質化されるのは人間の”意識”=重たい波動からだそうで、波動が上がって量子が繊細になると、この世は”空”であるという事が解ると言いますね。

    例えば、死んだら自分の心=意識が捏造していた世界は消えて無くなると言います。

    だから全ては自分の心の中に有り、私達は夢を見ている、もしくはゲームをしている様なものだと・・・。

    外の世界に起きて見える事は、自分の心そのもの=鏡であると私は思います。
    (外の世界は自分の心の映し出し)

    同じものを見ていたとしても、その人の意識がどこに焦点を当ててものを観ているかという事なのだと思います。

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    1. 昔から仏教などでも一水四見といって、本人の意識によって世界はかわって見えると説かれますね

      あるしゅの覚醒体験をすると物質の裏側の光と愛のあることを体感することもあります

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    2. 仏教的に言うと、その体感は”禅定”ですね?(^^♪

      禅定には4段階有ると聞きました。
      最終の4段階目の禅定が、阿羅漢(アラカン)という仏陀の境地であると・・・。

      きっとイエス・キリスト様も禅定の境地に至っておられたのでしょうね。
      (イエス様は仏教を信仰していたという説がありますね!)

      どの道から入っても、結局行き着く先は同じ=真理なのだと思いますから、「私の宗教の方が優れている!」とかで争わないで、

      「善いものは良い」とお互いを認め合って、それぞれの道を歩んで悟って行ければ、良い世の中になるでしょうに・・・と思います。

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