様々なる出会いの中で、傷つけあったことも、悲しみや喜びを分かち合うこともあったでしょう
永遠の愛を誓った二人が、生まれ変わって偶然のように出会い、過去世のことも忘れていながら、知らず知らずに惹かれあうこともあります
ライバル同士として生きてきた者同士が生まれ変わり、今度は同じチームとして仲間として働くこともあります
人は空に記憶を置いてきて地上に降りてきて、多様な出会いの中でドラマを演じます
事件が何も起こらないテレビのドラマを見ても、楽しくないと感じて飽きてしまうでしょう
また、先の読めるドラマも、ハラハラドキドキが無くて面白くないと感じます
ですから、私たち人間は、生きているうちに様々なる事件が起こり、先の分からない人生を生きています
それは空で自ら望んだ結果の出来事
自分の人生をしっかりと味わい、エンジョイするために、記憶を消し、親しき魂と地上で仮の出会いを体験し、出会いや別れ、喜びや悲しみ、泣いたり笑ったり、怒ったり悲しんだり、様々な感情を経験するために、知らない出来事が起こってきます
なぜ人は地上で永遠に生きられず、死と再生を繰り返すのかと疑問に思う人もいるでしょう
この世において長く生き続けると、人は出来事に新鮮さを失い、感動と喜びが減ってきてしまうのです
子供の頃ははじめて動物園や水族館で不思議な生き物を見ては感動し、はじめて体験する出来事に、よくワクワクドキドキしていたのを覚えていますか?
私たちはいつのまにか日々の感動が薄らいできています
いつからでしょう、雪を見ても喜びがわかなくなったのは
いつからでしょう、乗り物に乗ってもドキドキしなくなったのは
どんなに愛する者同士であっても、長い月日の中で、いつの間にか当たり前にある存在と思えてきます
そして死別などの別れを経験してこそ、そのありがたさを再確認させられます
人は経験を積むことで賢くなってきますが、魂は感動が薄らいでいってしまいます
ですから人は、一時の間だけ地上に降り、また空へと、魂の故郷へと帰っていくのです
そしてまた人は空から地上へと降りてきます
すべてを忘れて、感動を味わうために
9 件のコメント:
今回の写真・・・☆
なんて美しいのでしょう!(☆。☆)!!
今回の内容共にとてもマッチして、そのハーモニーからオーラがビンビン伝わります♪
(この写真、マジでお部屋に飾りたい私♪)
いつも素敵なメッセージと、マッチする写真のチョイス、
洪正幸美術館(!?)をありがとうございます。
<(_ ☆_)>
(ちなみに先日”浅田さん前世と宇宙の妖精”の真央ちゃんの写真の選択も、全体から出ている雰囲気が内容にまさにピッタリで、個人的にとても好きでした♪)
(^^♪
多くの方(特に日本人のおじさんに多い!?)は、普段あまり意識していないかもですが、生活に芸術が無ければ、人の心は荒んで行きますね~。
この世の最高の芸術とは、完璧な自然であると私は感じるのですが、
人間にしか生み出せないユニークなものなども、見ていて楽しい わ・た・し です♪
from ゲージュツカのおめめ ㋱
”輪廻転生は感動を味わう為の学びの場である”は、とても良く理解できます。
けれど、お釈迦様は”生きる事は苦(空しい)ものである”と説かれて、生命が輪廻転生から解脱される事を説かれました。
解脱に向かうのにも一足飛びには行けずに段階があるから、まずこの様なシステムで学ばさせられるのでしょうか?
”この世は本当は幻でゲームなのだ”という人もいます。(お釈迦様の理解に近い?)
又、”地球に転生して来る者は、皆 堕天使 ”という説もあれば、
”このユニークなシステムの地球に転生して学ぶ事は、難しい分、逆に上級編なのだ”
という説を唱える人もいます。
これらを統合した解釈にするには、どう理解すれば良いですか?
”感動する事”と”興奮する事”の違い、ありますよね?
自分を何かに投影して、興奮している時は、自分を見失っていますね?
それをお釈迦様は”苦(空虚)である”と説かれたのでしょうか?
もうご存じでしょうが、昨日の記事に質問に関連した記事をかいています
よろしくお願いいたします
はい!
昨日の記事、お答えだと思い丁寧に読ませて頂きました。
ありがとうございました!
_(_^_)_
好奇心の強い私の立て続けの質問にお疲れの時は、どうぞ適当にスルーされるなどの、大人の対応をなさって下さいませね!
そしてどうか、今日はリラックスされて下さいませ~。
(_ _ )~zzz
「人はなぜ生と死を繰り返すのか」
すごく読みやすく、そういうことか!と理解できました。
だから輪廻転生ってあるんですね(^^)
六道・地獄があると考えるより、こうして「魂が新しい体験をするために生まれ変わるんだ」と思う方が、面白いですね。
久しぶりです、洪先生。
天使や悪魔は、人になる事はあるのでしょうか。
前世と今世で同じ関係を続けている場合の理由は何か、という質問をした者です。
遠野なぎ子さんの記事を偶然読み、答えが見つかりました。
前世で思い残す事があれば今世でまた縁のある関係になり、その縁をどう活かすかは当事者に委ねられているのですね。
前世でいがみ合ってしまったから、今世では親子で仲良く、といかないあたり、本当に命って複雑で厳しいですね。
人の心臓の中には魂があって、その魂によって人は体は活き活きと動いています。
そしてその魂は、神様が自分のエネルギーをちぎって作った神様の子どものようなもの=神様と同じエネルギーでできているので、とても純粋で美しい、分け隔てない思いやりの愛にあふれるものです。
神様はその、自分の子どもである魂たちが愛でもって互いに満たしあい、幸せに過ごしているのを眺めて満足していました。
それが、魂を作った神様の、純粋な目的だったからです。
ところが私たちは、過去何万年・何億年もの長い間、地上で体を持って生きる中で、「自分さえ良ければいい」という自己中なエゴを魂の周りにくっつけてしまい、神様のことも分け隔てない思いやりなどもどこかへ忘れてしまいました。
よって、神様の目的から外れた自己中な魂たちは、神様のところへ帰ることができなくなったのです(その不純なエゴをつけたままでは、純度100%である神様のエネルギーと1つに戻ることはできないからです)。
しかし、全ての魂たちを深く愛している優しい神様は、そんな自分勝手な魂たちのためにも生まれ変わりというシステムを使って、貴重なやり直しのチャンス(自己中なエゴを捨てて、分け隔てない思いやりで生きることを学ぶチャンス)を与えることにしたのです。
そのためにこの地球も用意されていて、美しいものや美味しいもの、感動するものまで添えてくださっています。
だから、この地球で生まれ変わりのチャンスをもらえた魂はとてもラッキーなのです。
神様に心から感謝しながら、今回こそ思いやりで生きるぞ!と、降りてきたはずなのです。
ところが、生まれ変わるときに前回の記憶を全て消されるため、今回もついつい地上の欲望や嫉妬などのエゴに負けてしまい、結局また、分け隔てない思いやりなどとは程遠いような、自己中なエゴの生き方でもって人生を終えてしまいがちです。
するとそれは、とても貴重なチャンスを棒に振ったことになります。
生まれ変わる本当の目的は、家族あるいは友達と、仕事の同僚と、我が子たちと…生まれる前に決めてきたお互いの人生の課題にチャレンジする中で互いに分け隔てない思いやりで生きることで自分のエゴを消し、神様と1つに戻れるくらいの純度に魂を高める(というか、魂が作られたときの状態に戻すだけですが)ことだからです。
でも、この世界に住む方々のあまりに酷いエゴのぶつかり合いによって、すでにこの地球は悲鳴を上げていますよね。
だからもしこのまま地球が壊れてしまえばもはや、次はこの地球に生まれ変わることができない(もっと大変な思いをする星に行くしかないかもしれない)ですが、それはつまりこの地球に今住んでいる、自己中な私たちの自業自得な行動のせいであって、誰にも文句など言えません(文句を言う資格があるのは、もはや神様だけです)。
生まれ変わりというシステムによってやり直しのチャンスをもらっているのに、結局、文句を言うだけでエゴを消せない(それどころか、周りの人を傷つけたりしたエゴをさらに増やしていくだけ)なら、むしろ生まれ変わらない方が魂にとっては良いとも言えます。
今回の洪さんの言葉もだから、とても重要なものなのです。
今回の生まれ変わりで神様からやり直しのチャンスをもらえていることに、いったいどれだけの人が感謝できているのか。
そして、どれだけの人が実際にエゴを減らして神様のエネルギーに近づくことができているのか。
もしかしたら、次の生まれ変わりの頃にはこの地球は(エゴによる核戦争などのせいで)宇宙から消えてしまっているかもしれない…それくらい、私たちのエゴが引き起こすことが危険なものだと分かれば、死ぬ気でエゴを捨てて分け隔てない思いやりの生き方に変えられるはずですが…
そういったことについて、このブログで警鐘を鳴らしてくださる洪さんの言葉は、本当に貴重なものだと感謝をしています(/ _ ; )
神様と1つになれるくらい、全てのエゴを消して純度100%に戻れたら、そのとき初めて、生まれ変わりの旅は終わります。
何万年も何億年も続いてきた生まれ変わりの旅が終わるのを、神様は心から願っておられます。