人間の意識というのは、普通の感覚ではひとつのものと考えられますが、実際には様々に分離したり、意識の一部が、特定の時代や場所に留まってしまうことがあるようなのです
ドッペルゲンガーと呼ばれるものがありますが、これは自分とそっくりの分身を
いい、同じ人物が同時に複数の場所に存在する現象をいいます
このドッペルゲンガーの実像は、本人の霊体の一部が肉体から遊離し、他の場所に出現したのを目撃されたのが原因としてあるでしょう
日本では生霊などと呼び、人の想念が飛んでくることは知られています
沖縄ではユタと呼ばれる霊能者が、事故などを起こして魂が抜けた(魂の一部でしょうが)ような状態の人を視て、事故の現場に行ってマブイ(魂)を拾ってきて本人に戻すというようなことをします
このように、人間の意識というのは分離して、一部が別な場所に存在するということがあるのです
大きな事故などに遭遇した場合は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になり、似たような状況などでフラッシュバックのように恐怖心などが蘇るという症状があります
これなども、大きな事故のあった場合は、その時間と場所(時空間)に意識の一部が残されてしまい、それが様々な作用を後まで引き起こすということがあるようなのです
それは今世での過去の出来事だけではなく、前世での体験でもあると考えます
たとえば前世で高いところから転落して亡くなった方がいるとします。その方は今世で、高所恐怖症になり、高いところが人一倍苦手となることがあります
そのような場合は、前世において転落した時間と場所において、意識の一部が止まったままの状態で残されているのが原因と考えられます
事故やショッキングな状況において、上記のような意識の一部が残されることがあるわけですが、それ以外にも、強く思ったり念じたことも時空間を越えて残され作用をもたらすことがあると思えます
たとえば、前世において家庭の事情などで、歌手になりたかったのに成れなかったなど、無念な思いがあて、それが強烈に強く焼きついていると、今世でもその時の意識が作用をもたらすということがありえます
今世である程度、思いが果たせたら、それで解消されることがあるわけです
上記のように、自身の意識の一部が未だに過去の時空間に存在しており、それが今世に影響するということがあります
魂の絆 時空間に幽閉された意識
萩尾望都さんと言う女性漫画家の作品に「銀の三角」というSF物があります
楽士であり時空を自在に旅出来るラグトーリンという主人公が辺境の星に転生した銀の三角星人のパントーが死ぬ時に発する音・波動が時空を歪めてしまうために、彼を助けだそうとするのですが、何度も過去へ戻って様々な方法をもちいても彼パントーが死んでしまう結末が変えられないという話しが出てきます
この作品を読んだ時に、時空の一点に幽閉されたかのように救われることないパントーという存在の設定に何故かひかれるものがありました
それは今になって分かることは、一定の時空に幽閉されたように救い出されないパントーが、前世の意識を、その場所に残された悲しみや後悔の意識を表現していたのでしょう
以前にある方を拝見して前世の記憶と思われるビジョンを観ました
かつての中南米と思われる所で、一つの文明がありました
神官のような方が政治的にも力を持ち、神様に人間の生け贄を捧げていました
そこへある予言者のような者が現われ、このままでは滅びると警告をします
その神官は彼を捕まえて生け贄にします
そして予言の通りその文明は間も無く滅んでしまいました
神官にとっては生け贄を捧げ神を祭ることが正義であり、民衆もそれを信じて神官は支持されている
生け贄をやめてしまうことは神を冒涜することであり、予言者は許せないと思ったのでしょう
また予言者にしてみれば、正しい道に導くために怖い未来であっても警告したかったのでしょう
この物語は単純に神官と予言者のどちらが正しいとか善悪で分けるのではなく、どのような方法があったのかなかなか正解といえる明確な道は分かりませんが、まるでパントーのように時空間に幽閉されているように、どの手段をとれば抜けられただろうと考えさせられる課題になっていると思いました
神官と予言者とはお互いの影ではないでしょうか
それぞれに学ぶべきことがあり、それを考えることで私の学びにもなっていると思いました
7 件のコメント:
最近私ばかりがお喋りしてしまっている様で、少しコメントを控えようかと思ったりしますが、
この内容を読ませて頂いたら、感謝をお伝えするのに、書かない訳には参りません!!
(笑)
こうしてこのブログから、貴重な人生のカラクリを学ばせて頂ける事は、視野が広がり、自分を観る時にも、又他人を理解するにも役立つヒントがおてんこ盛りです!
本当にこのブログとのご縁に、私は感謝でいっぱいです!
ありがとうございます~☆彡 _(_^_)_
追伸♪
人間は無念の思いを残さない為にも、やりたい事をこの人生でトコトンやった方が良いのですね?
今回のメッセージを読んで、ふと思ったのですが・・・。
前世では、何かの事情でやりたい事ができなかった場合に、そこに絡んだ人間関係が今世にも継続されて、思いを果たすという事もありますか?
もしそうならば学びの為に、それぞれ生まれる前にお互いの同意が有って生まれて来るのでしょうか?(片側だけの思いからという事も有るのでしょうか?)
以前に江原啓之さんが色々な方を霊視された時に、
「あなた達は今は夫婦だけれど、前世では姉弟だった。」とか
「前世ではあなたは女中さんで、(今世の再婚相手である)ご主人のお城で仕えていた。
今のあなたの前夫の息子さんは、今の再婚したご主人とは血の繋がりが無いけれど、
前世では本当の親子で、戦う時に意見が分かれて揉めたが、最後は父親の戦略を採用した為に、父親は戦死している。
あなたはいつもそんな親子を気にかけて仕えていた」とか、
今世の学びに一番必要な形を取って、お互いが果たせなかった思いを解消させるという様な事を仰っていた記憶が有ります。
今世に生まれる時に、学びの為に全ての記憶を消されて生まれますよね?(殆どの方が・・・。)
こういう事を理解して自分の人生を考える人と、そうでない人が今世で縁が有った場合、どちらかだけの理解ではカルマ(残された思い)の解消にはならずに、又来世で因縁は続くのでしょうか?
それとも理解した方は、その課題から卒業して行けるのでしょうか?
というよりも、執着を強く残さないようにしたほうがよいですね
よいことでもあまりに強く執着したり念じてしまうと、そこにとらわれて離れられなくなってしまう事があります
ですのでお釈迦様も執着を絶つようにすすめたのでしょう
それはお互いが天に帰ってから次はどうするかを話しあうのでしょう
あの世に帰って、まだ学びが足りなかったと思えば、来世でまた違った形で会うこともあるでしょう
片方がほんとうにもう学びは十分となったら、もう会いたくなければ会わずにすむこともあるでしょう
慈悲喜捨の”捨”ですね!
私は仏教を勉強した時に、業で生まれて来た命が悟った時(輪廻を終える時)、
「最後はローソクの炎が消える様に、滅する」というお釈迦様の表現にシビレた一人です。\(◎o◎)/!
私自身はやりたい事を精一杯やれたせいか、いつ死んでも悔いは無いと思える生き方をして来ましたので、執着はもうあまり無いと思えるのですが、
多くの方を見ていると、何かを我慢したり、不本意だったり、自分が思うほど人に評価されないと感じて生きている方が、とても多い様に感じるのです。
かつての自分もそうでしたから、その苦しみは痛いほど良く理解できます。
自分の経験から思うのですが、人間はやるだけの事をやり尽くさないと、無念な思いばかりが残り、執着になってしまうのかと・・・。
私の場合は、自分にやれる事はやり尽くす中で、ガツガツした欲が自然に落ちて、その空しさに気付けた感じでした。
人間の欲望には限りが無いという事も深い理解できましたし、そんな時にお釈迦様の「この世は”苦(空しいもの)”である」の言葉に改めて触れた瞬間に、ストン!と腑に落ちたのでした。
有名な言葉なので、以前にもどこかで触れている言葉なのに、その時の理解はそれまでとは全然違う感覚で、まさに”腑に落ちた”のでした。
今、ふと思い出したのですが・・・。
自分が腑に落ちた後、色々な人達が(特に私の職業=芸事をされている方にも多く感じました)輪廻の苦しみの中にいて「かつての自分の姿の様で、苦しそうに観える」と話したら、
「うん。でも彼等は苦しいとは感じていないのだなぁ~」と言われてて、ハッ!とした事がありました。
欲・怒り・無知の世界の真っ只中にいる時は、人はそれを苦しみと自覚できないのだろうか?と思ったのですね。
「彼等は苦しいと感じていない」と話されたのは、仏教徒のお坊様でした。
そうなのですね~!
この世の学びのシステムは凄いカラクリなのですねぇ!!
こんなカラクリを思いついた神様って・・・、
凄いなぁ!!!\(◎o◎)/!