小学生のころ、この世界はリアルな夢を見せる機械のようなもので作られた幻(バーチャル・リアリティの世界)ではないかと漠然と考えていました
本当はまったく違った世界に生きていて、姿形もぜんぜん違う存在ではないかと思っていたのです
実際にビジョンが浮かんでくる風景では、本当の世界、そこは高度に科学技術も精神性も発展した世界であり、この肉体に宿るのは大変な冒険で、苦痛を伴うものとかんじていました
漫画のコブラにそういう現実と思わせる夢を見せる装置が登場します。また、トータルリコールという映画にも同じような機械が出て来ました
映画のアバターでは異星人の肉体に宿る地球人が表現されていました
私が想像したのはこれらを見る以前ですが、似たような装置を想定し、夢を見ている間はけして気付くことはないわけです
そして周りの人達は親を含め気付かないまま生活していますが、自分独り覚めてしまっていると考えると少し恐い感じがいたします
この人間として現実に生きていることに、違和感といいますか、不思議に思う感覚というのが子供の頃にはよくありました
一つは、睡眠から醒めたときに、この現実世界に生まれ出ていることを忘却していて、何故自分はここにいるのだろうと考えることが多くあったのと、
もう一つは、日中に時折意識がフッと飛ぶことが小学生の頃にあったのですが、その時に意識が肉体に戻ってこようとする時に、何か別な世界にいたのが現実世界に呼び戻されるような感覚がしたからです
その感覚の時は白い服を着た女性のような方達が三人くらい立っていて、私を現実世界に返すようにしているように感じました
そして私は戻りたくないっと嫌がる感覚が強く残ってあったのです
この戻ってくる感じは、まるで雲の上をフワフワ気持ち良く浮かんでいる感覚から、一気に深海の重苦しい重圧のなかに押し込められるようなとても不快な世界に戻ってくる感覚でした
こうした子供の頃の感覚のひとつには、生まれ変わりがあって、あの世から肉体に宿って生まれ変わる感覚が、子供の頃には比較的残っていたのでしょう
もうひとつは、私の魂が、地球ではなく、別な星から来たことによる、元の星の感覚が少し残っていたのが原因ではないかと思われます
11 件のコメント:
不思議体験に、すンごいリアルな感覚をお持ちなのですね~。
その感覚が純粋な子供の時からというのと、それが今現在まで続いている事。
大人になってもその感覚を失わずに生きて来られた事の方が、或る意味凄い事だと私は感じます!(この波動の重たい、ネガティブで未熟な人間の多い地球で・・・!)
ここに来られるまで、どれだけハンパない孤独感を味わわれた事でしょう!
けれどそんな中でご自分を信じて貫いて来られて、今こういう活動をされているのは、きっと大きな使命を持たれた方なのだろうなぁと、私には素直に感じられました。
レベルの高い星ですと、忘却や幻想や夢などは必要ない世界になるのでしょうかね~?
こんにちは。
コメンテイターさんのお話を読みまして ちょっと一言。
地球人であっても?あらゆる状況の中で身悶えをしながら懸命に人生を生きていってると思いますよ。
使命を持った気高い何何星人の出だから苦難の道も特別!という解釈はなさらない方がいいですね。
生きている人誰に対しても哀れみを持つことが大切です。
特別な人というのは、創世以来神の子として地上に生まれられたキリストだけでしょう。
人を許し、愛する心があれば 地球も軽やかに生きる事が出来る地になるのではないですか。
何よりも 哀れみを持って人を愛することです。
特に自分を悩ますような事をする人を。。。ですね。
洪さんの心からの言葉には非常に深い愛が込められていますよ。
愛深い人になりたい、とおっしゃる言葉に 誠実なお人柄と誠実な願望、愛の心情が凝縮して表現されています。
皆 お互いに愛する為に生まれて来ていますヨ。
言葉を覚えたての小さな頃は、聞くと生まれる前の話しをしだすことがけっこうあるそうですよ
空の上から両親を見ていたとか、前世の話とかですね
それがしばらくしたら忘れてしまうんだそうです
私は学校の勉強は覚えられませんでしたが、その分へんなことは覚えていたようです
忘れることはよい面もあって
あまり覚えていると、この世にうまく適応できないおそれがあるのです
ですのであの世のことを忘れてくるのもありがたいことでもあります
こんばんは
わたしはまだまだ未熟な人間ですから、
きっと私へのお説教としてスピリチュアルメッセージが降りてくるのでしょう
それが他の方のお役にもたてたなら幸いです
未熟な私を擁護して頂き、ありがとうございます。
言葉というのは不自由なもので、短い中に全てを伝える事は不可能ですからね。
私は人を差別などしておりませんが、そういう風に感じられる方もいらっしゃるのなら、悲しいですけれど仕方ないですね。
受け取り方は各人の自由ですから・・・。
私はむしろ、素敵なメッセージを伝えて下さる供正幸様のブログ内がこんな空気になってしまったことを申し訳ないと思いました。
今回私はこういうお返事を致しましたが、人様のブログ内でこういう形を取るのは、何よりブログの主宰者の方がとても気を遣われてお心を痛められると思いますし、マナー違反と心得えますので、
以後私は今まで通りと致します。
このブログの主宰者は供正幸様でございますので、コメントの判断は主宰者の方の判断に委ねます。
このブログを楽しみになさっている他の方も、この様な私達のコメントのやり取りは望んでいらっしゃらないと思います。
供正幸様、本当に申し訳ありません。
子供の頃、朝目覚めて、ここはどこなんだろうと思い、天井の模様をあっけに取られて眺めているという記憶がありました。生きることへの違和感がありました。
その後、ワンダラーやボランティアソウルという言葉を知って、納得しました。
このような感覚の人たちがいるというだけでも心強いです。
いつかそうような方々と交流できたらいいなと思います。
こんばんは
わたしに謝らなくともよいですよ
それとメールを頂いたかと思いますが
何故か返信がエラーとなってしまいます
送っていただいたアドレスの一部に
間違いがあるのかなっと思います
よろしければ正確なアドレスを送信いただきましたなら
こちらから返信させていただきます
星間旅行さんこんにちは
同じような感覚をお持ちなんでしょうね
数は少ないでしょうが似たような感覚を持って生まれられた人たちというのがいらっしゃいます
私のブログはそうした方たちへのメッセージとなればと思い書いております
今コメントを読んでて子供のころの感覚ですが、言われてみると自分も同じように感じたことがあったなと思いだします。
親が他人とかいうより「なんでここにいるんだろう?」って感覚が強かったです。
なんだか不思議な感覚を持っていました。
なんとなく現実を現実として認識できてない違和感なら小学生ぐらいまであったと思います。
洪さんのブログに夏頃にたどり着きつき毎朝日課で拝見しています。
フムフム私に当てはまる事ばかりで納得です(笑)色々記事を拝見し
この記事に出会うまでは私がそんなにおかしいのか悩んで苦しみました。
もの心ついた頃になぜここにいるんだろう?私は誰?と思いにふけってよく叱られていたし、変わった子どもも行動、発言に母親は悩んで児童相談所に連れて行き事
相談していました。そんなところにいってもその時代のそんな人達に解決出来るはずもなく現在にいたります。学校でも社会人になっても浮いていた自分がいました。
子どもの時に海や山に行き自然に触れるのが大好きでしたので自然に触れる事再開しました。自然に触れ、洪さんの記事を読みとても人生楽しめるようになりました。 昨日は海に入りました。
私も幼い頃似たような体験があって、スクリーンの様に感じたり、フッと飛びかけた時は手のひらを見つめながら「自分は今"ここ"にいるんだ」と言い聞かせていた事があります。
その他は月に郷愁を感じていたのですがこの体でこの距離で帰れないから、自分はこの世界に縛られているんだと切なくなったりしていました。