課題(カルマ)を背負って生まれてくる人間とそれを支える存在 スピリチュアルメッセージ
降りてきたスピリチュアルメッセージを紹介します
たとえ地上の人に気づかれなくとも、天使と呼ばれる存在は皆さんを見守っています
不幸や悲しみのうちにある時に、信じられず、恨めしく思われようとも、影ながら涙をぬぐっている存在がいます
みなさんが地上に降りるときに、たくさんの課題を選んで生まれ出てきます
魂の向上と、悲しんでいる存在への共感のために、押しつぶされそうなほどの大きな荷物を買って出てくる人たちもいます
みなさんを愛してやまない天使たちは、ハラハラしながら見守り、本当は自らが代わりに荷物を負いたいと思います
ですが愛する子供が少しづつ成長する様子を見守るように、子供が重い荷物を一生懸命に携えて道を歩んでいる姿を見ると、代わりに背負ってあげたいという思いを堪えて、その子の成長のために黙ってみつめています
天使と呼ばれる方たちは、この世に生まれてくることもあります
人々への愛ゆえにこの世に生まれ、他者への共感から、人一倍の悲しみを背負って生まれることも多くあります
人々を愛し、その罪と悲しみを一身に背負いたいと願い、自ら十字架へとかかられた方もいます
この世が地上の人々に手によって、これほど罪と悲しみに満ちているにもかかわらず、人々が生かされているのは、見えざる愛によってこの世が支えられているということであります
誰にも気づかれずとも、すべての人の苦しみや悲しみを背負われているからこそ、私たちは生きつづけていられるのです
人を生かすエネルギーとは? スピリチュアルメッセージ
それは光のように世を照らし、人と人の間を通り過ぎては、人の心を暖めてくれます
それは目に見えず、手で掴む事の出来ないものですが、確かに人の心を暖める力があることを、それが存在することを人は知ります
それは誰かが自分の物として執着し、流れをせき止めたときに、命である光は失われ、温もりも消えてしまいます
それは絶えず世の中を循環することで、本来の力を発揮できるのです
まるで水のように、一箇所に溜まった水が淀んで悪臭を放つように、誰かの何処かの一か所に留まることを嫌い、
清流が滾々と湧き出しては、留まることなく流れ続け、人や動物や植物を潤してくれるように、
見えないそれは、循環の中でこそ生き続けるのです
人々よ、知ってください、それとは純粋な愛のエネルギーであることを
それはいと高き神の御座から流れ出て、すべての存在を生かしめ、暖めていることを
私たちはすでに大いなる存在より与えられているがゆえに、人々へも分かちあうのです
そのエネルギーは不思議なことに、与えれば与えるほど増えていき、奪えば奪うほどさらに減っていきます
人は何故 苦しみの多いこの世に生まれ落ちるのか スピリチュアルメッセージ
悲しみを経験して人は喜びを知り
苦しみを通り越して 達成感を味わい
裏切りを経験して 信頼を得
憎しみを通して 愛情を学び
別れを経験して 人と出会い
絶望を味わって 希望を見出す
本来 光そのものである私たちの本質は
光であることの喜びを学ぶため
光でないもの 自分の本質でないものを
地球へと生まれ落ちて味わいます
自らの本質を忘却して
微かに漏れ出る光を頼りとして
手探りで暗闇を進み
闇と怒りと悲しみ苦しみ裏切り憎しみを経験し
根源の本質である
光と笑みと喜び楽しみ信頼愛情の素晴らしさを自覚します
ひとは年取って亡くなり
すべてを忘れて生まれ変わります
死ぬことは辛く悲しく思えても
そこには大きな慈悲が潜んでいます
思い出してください
子供の頃のことを
体験するすべてが物珍しくて
世界は輝いて見えていました
それが何時からか感激も薄れていき
年を重ねると目新しさも無くなり
感動を味わうことも無くなっていきます
地上へと長く留まっていると
魂は重力に引かれていき
重くなって感動が薄らいでしまいます
ですので人はまた
新たな環境と肉体を手にして
すべてを忘れ 新鮮な気持ちとなって
地上へと生まれ変わってくるのです
19 件のコメント:
こんばんは!
今日の内容は自分の事ではないかと思いました。
私はいつも憎まれ役になり、結果全体の波動を上げる役割を担って来ました。
真理に気付いていない者からは「お前は人を傷つける‼」と誤解されてしまうのです
。(私も未熟なのでしょう。伝え方が直球過ぎて、グサッと来るそうです。或いは相手には私の考えている事が読めなくて、怖く感じるらしい・・・?)
こちらがリラックスしていても、相手が勝手に私を怖がる人も多いのですね。
若い時はそれでこちらもショックを受けたりしたのですが、
今は「あぁ、相手は私を鏡にして自分自身をみているのだな」と思えるので楽になりましたが・・・。
ちなみに今日、私ははジブリの「かぐや姫の物語」を観て来ました。
「風立ちぬ」もそうでしたが、今回も大人向けのとても深い内容でした!
またまた石屋ですけども、 ごめんなさいね!
またもや じ~~んと心に来ちゃいましたので、 書き込みしております。
見えぬ愛というものに弱いですね~・・・
見えぬけども支えられている真の愛に、 その愛の発露大本なるお方がまずは創造主ですね。
天からの愛に啓発されて 地でもそのような愛が広がり行くといいですよね!
霊媒体質といいますか巫女体質のひとというのは、よく相手の鏡やくになることがおおいでしょうね
かぐや姫の物語ですか
私は見ていませんが、かぐや姫も古代の宇宙からの魂が地球へときたもののはなしなのでしょうね
キリスト教系のメッセージに共感されることが多いようですね
過去世において修道女をされていたことがおありなのでしょうか
フランチェスコ会にいらしたのかもしれません
私、現在キリスト信者ですヨっ。
生まれる前に、父が 獅子(キリストの表示体)の吠えた顔の大きなブロンズ像をどこからともなく購入してきてましたり、 幼稚園ではいつも「天にまします我らの父よ。。。」 と合唱祈祷してましたり、 実際に24歳の時分にあるキリスト教に導かれました時なども、 入教して間もないある日の朝、神様に逢いたくなり日の出を眺めに行こうと思い立ちまして広い川原沿いの土手に向かったのですが、 携えていたカメラで何気なく空をパチリと写真を撮りましたところ、後で現像してみますと水色の空にくっきりと大きく獅子の横顔が口を開けて写っておりました。
キリストを予示する獅子ライオンをまた現して下さったのです。
不思議ですね。。。。
本日(21日)発信の貴方様のブログの内容にも、 読んでまして目頭があつくなり、胸が震えるのです。
心情を揺さぶられます!
あっちこっち他国のキリスト教会へも行きましたし、 キリスト教の背景をいっぱい貰ってきているかも知れませんね。
フランチェスコ会ですか。。。ちょっと意識してみますね!
長々と証し致しまして、 大変失礼致しました! お許しのほどを。
やはりそうなのですね。
私は氣を読んだり、誰も気付かない一瞬の顔相から、相手の深層心理を感じるタイプです。
霊が見えるタイプではないので、あまり自覚は無かったのですが、霊能者の方々に「あなたは霊感がとても強い」と言われた事があります。
霊感が強いというのもピンキリらしく、やたら霊が見えてしまう方の中には、低級霊が神様や天使に成りすましで見せるものに騙されているケースも多いのだと聞きました。
神様も格が高いほど、目に見えたり耳でハッキリしたメッセージではなく、とても微細な伝え方をなさるので、受け手が繊細な感受性を持っていないと、メッセージに気付けない場合が多々あると勉強しました。
自分の心を常に磨いておかないと、知らず知らず低級霊に騙されていたりする事もあると知り、迂闊に面白半分や欲で近付かない方が良い世界でもあると、勉強して思いました。
謙虚さが無いと近付かないほうが良い世界かもしれませんね。
かぐや姫、同感です!
(かぐや姫=宇宙人説)
映画の中には、神道的、仏教的な深いメッーセージを感じ取る事が出来ました。
制作者の心意気等含め、なかなか渋い映画でした! (・。・)
おっしゃる通りに昨夜意識して 「フランチェスコ会」の情報を検索して読んでおりましたが、 今朝、不思議な出来事がありましたよ。
7時頃でした。 ある鳥の声に目を覚まされましたのですが、 その鳥はたぶんスズメだと思うのですけれども、 私に一生懸命お話してくる感じで『トゥルトゥルルルー、
トゥルトゥルの繰り返し・・』 を歌うようにしばらく奏でておりました。
裏庭によく小鳥は参りますが、 今朝聞いたスズメの歌(お話掛け)は、今まで聞いた事が無い口調?のものでしたよ。
フランチェスコさんがらみの出来事でしたんでしょうか?
おもしろいですね!!
小鳥がご挨拶にきていましたか
もちろんフランチェスコの関連ですね
聖フランチェスコの逸話で、鳥たちに説法するシーンというのが有名ですよ
ですのでフランチェスコは動物加護の聖人ともいわれます
先日は私の知り合いの方も、鳩の群れが先回りするように何度か前に舞い降りたといっていました
そうです
巷の霊能者はほとんどダークサイドに陥っているといってもいいでしょう
おっしゃるとおり謙虚さや相手を見抜く知力がないと
霊能は持たないほうが幸せですね
色々教えて下さり、有難うございます。
今晩(22日)のメッセージも、 奥深いですね。
キリスト教は、 やはり大きな統括的な宗教であると思います。
普及率は、 一番ですものね。
解釈違い、権力による宗派分裂はあくまで堕落人間の側の問題ですので、 天におかれましても頭痛い様相ですよね・・・・
中々一つになれないですね・・・
この度は長ーいコメントの遣り取りになりましたね、 失礼します。
忘れた頃に質問良いですか?
もし私が霊媒(巫女)体質=鏡だとしたら、私と、私をを怖がる人には何がおきているのですか?
霊同士の何かがそうさせるのですか?
お互いにまだ理解し合えない部分があるのでしょう
それをお互いに学びあう機会であり
その分からない部分に投影して自身の一部を映し出しているのです
霊能者の方に「あなたの家系に裁判官の霊がいるから」と言われた事があります。
人を裁く事ばかりしていた”業”が関係しているのでしょうか?
もし実際にそうした家系であるならば、それは家系のせいというよりも
ご自身の中にそうした人を裁いてしまうような性質があるかどうかを見直すための機会と捉えるべきでしょう
業があったとしても本人がまったくそうした性質と合わないのなら影響はほとんど受けないことでしょう
お答え、正にその通りだと思います。
私が霊能者の方に言われたのは、
「あなたのお父様は、ご自身に自覚はないけれど物凄い霊媒体質で、裁判官だった人の霊が憑いている。
だから年中人を裁いている反面、裏には物凄い罪悪感もあり、それでいつも心が疲弊してイライラとした性格なの。
それを知ったら、あなたもお父様を見る目が変わるでしょう?」
でしたが、それを聞いた時に私は、
「それは父本人の中に同じものがあるから引き寄せているのではないのか?
何でも霊のせいにできるなら、本人の自己責任はどこへ行くのだろう???」
と感じたのですね。自分も含めて。
(私と父は生きる価値観が全く違いますが=父は目に見えないものには否定的=、気質はとても似ています)
今回のお答えを聞いて、私は自分の出した答えに確信を強くする事ができました!感謝致します。
何でも霊のせいにできるなら、それは言い訳に繋がる責任転嫁となり、人は成長できなくなりますよね?
自己責任を持つ事という事は、反対から見れば
”自分の人生は自分で自己改革できる”
訳ですから、有り難いシステムです。
私的な質問に丁寧にお答え頂き、誠にありがとうございました。
お陰様でモヤモヤが晴れてとても清々しい気持ちになれました!~☆
父自身も自分で気付きに来れたら良いなぁと願いつつ・・・、私は私の人生を、自己責任で頑張ります!(笑)
息子が生まれたときに とても幸せを感じて、これが一生 続くものだと信じていました。ところが・・私の生まれ育った「日本」に帰国して 1週間後には環境に適応できず、精神崩壊を起こし、とても重い自閉症の状態になりました。表現のしようのないほどの苦しみでした。地獄に落ちたような深淵を見ていた気がします。
そこから・・光の見えない洞窟から・・私たちは たくさんの人の手を頂いてここまで歩んできました。そして・・息子の障害をきっかけに、私なりに・:同じように苦しむ母子のために、子供達の早期療育・教育のために・・発達障害の子供達のために できる限りのことを発信して動かし創り続けてきました。
息子は20歳になりましたが、このあとは、成人して〜仕事をする人、老齢に向かう障害のある人たちのために 何を創っていくかを考え 行動しなければなりません。それが これからの課題です。
幸運なことに 私は「メール」や「手紙」を送ることで 世の中を動かしている人々と接点ができます。そして、実際に世の中が動いていきます。
それは・・天使からの 私への ご褒美のように思えます。
実際には 私自身が物事を全て創るというよりは 私が夢を見ている間に つながりができコンタクトをとって、それがその時と場や様々な事が満ちると 卵が割れるように生まれてくるのだと思います。
能力には 様々な現れ方があります。
ですが、大災害の起こるメッセージをたくさんの人が夢に見ても、実際は時と場所が正確に特定できないので、情報発信は難しいように思います。
私は自分自身のことを アンテナのような存在だと感じています。
ですが、メッセージを言葉で表すようなビジョンではなく・・人それぞれに、伝達されることも 方法も 違うのかもしれない・・と感じています。
私に託された息子は 大きな存在で、私は日々、育てているのですが、実際には「育てられている」気持ちです。
私の持つ課題は 一生をかけて創り続けていく課題です。自らの歩みが止まったときに 光の世界に戻れることが 一番のご褒美かもしれません。
長くなりまして、すみません。
とても心が癒やされて、お礼を書きたかったのです。
ありがとうございます。
こんばんは
詳しくコメント頂きましてありがとうございます
このブログが一息の癒しになれましたら幸いです
今日は優しい太陽のようなメッセージをありがとうございます。心がとても癒され、励まされました。
自分が生まれてきたこの時代、今。
狭いスマホの窓から世界を眺めている日々では目まぐるしい変化に焦ったり、人と比べてしまったり、望むもの正しいものも分からず心が揺らぎがちでした。
先日、ベランダから空を見上げた時に羽ばたく大きな鳥の形の雲を見ました。天使のようにも見えました。
その不思議な雲と青い空に、故郷よりも故郷のような懐かしさと愛を感じ、ずっとずっと昔から空は変わらずに美しく、
今はこの世に居ない大好きな人と見上げた異国の空も繋がっていること、遠い前世のいつかの私も、今の私と同じ空を見ていたことを思い出しました。
窓を開ければ広がる空とじんわりと照らしてくれる太陽のパワーはすごいですね。秋の風の匂いも心地よく、塵とカビて散らかった心の部屋がお掃除されたような気分でした。
これから迷子になった時はスマホばかり見てないで、空を見ようと思う出来事でした。
長々と失礼いたしました。
いつも学びと癒しをありがとうございます。
『魂の向上と、悲しんでいる存在への共感のために、押しつぶされそうなほどの大きな荷物を買って出てくる人たちもいます』
↑この一文を読んだとき、ふと生まれる前に今回の人生をどうするか誰かと打ち合わせしているビジョンが浮かびました。魂の学習のためにどのくらいまで負荷をかけられるかを、自分で申告しているような一幕でした。
自分を取り巻く環境や他人に対する不平や裁き心が出るときがよくありますが、「これは自分が選んだ負荷なのだ」と考えれば納得できる感じがするというか、受け入れがたい現実とも落ち着いて向き合える感じがします。
今の自分にはとても無理に思えることだとしても、本来の魂の力に相応したものがそこに示されているのだと思います。
神はその人が背負える荷物しか与えないというような言葉があったと思いますが、ようやく納得できたような気がします。
きっと生まれる前に色々と計画していたことがあって、そのための企画会議のようなことがあったような気もするので、思い出せるか分からないけど、思いを馳せてみようと思います。