グノーシス主義
グノーシスは古代ギリシャ語で「認識・知恵」を現す言葉で、1世紀に生まれ、3世紀から4世紀にかけて地中海地方で広まった宗教思想とされます
キリスト教グノーシス派は、キリスト教における最大の異端とされ、弾圧されて歴史から消されていきました
グノーシスについて考えるに、そのなかでもっとも重要と思えるものは、主神が誰であるかということでしょう
旧約聖書では神ということで統一されていますが、様々な考えを持った存在がおります
目に見えないため、そうした存在の違いが分からず、すべてを一つの神、唯一神として捉えていったのでしょう
それに対して、グノーシスは、ヘルメス主義を取り入れつつ、旧約の神は、人々を罰し、異教徒の殺害を命じ、嫉妬深い存在で、一段劣った存在と捉えました
派によって旧約の神の捉え方は多少違い、神ではあるが劣った存在であるか、偽者の神、あるいは悪魔と同一視する派もあります
このように旧約の神の信仰を分かち、イエス様が父と呼んだ、まことの神、至高神への信仰へと導くものでした
主流派=カトリック教会は、旧約の神も、イエス様の父も同じ存在として考えたわけです
そうした混同から、神の違いを明確化し、真の神へと導こうとしたのがグノーシスであると言えます
主神の捉え方の違いが根本にあり、それで主流派とグノーシスに分かれていったと言えるでしょう
グノーシスでは、男女を平等にあつかう思想があります
カトリックでは、女性は男性に隷属する存在として考えられていますね
グノーシスでは霊能者が多くいたのだと思います
「マグダラのマリアとグノーシス」でも書きましたように、霊的な感性の強い人は女性に多くいますので、女性が啓示を受けると言うのもあったでしょう
それ故、グノーシスでは女性も重視されたのですが、知識中心で組織を持つ男性集団の教会は、霊的なものを排除する方向へ動き、女性を蔑視するようになってきているといえます
そのほかに、グノーシスではこの世を否定的に捉える考え方があります
それは旧約の創造神とされる存在を否定するために、教義の整合性として、旧約の神によって作られたこの世は否定的に扱われたと考えられます
もちろん、仏教的な考えと共通して、霊性・精神性を重視し、この世の者に執着させないように、よくないものだと教えたと言うのもあるでしょう
もう一つの理由を述べると、シュメールの神話を扱った記事でも書きましたように、旧約の神とされるエンリルは、人類の肉体創造にも一部かかわったのでしょう
シュメールではエンリル系のエイリアン=異星人による遺伝子操作が一部行われていたのだと思います
それゆえ、エンリルの影響を排除するため肉体などの物質を否定し、精神を別だと強調したのではないかと考えられます
唯物的に物だけで世界を見ていけば、肉体を創造に関与したものが神のようなものであり、人類は実験動物や、彼らの家畜のように捉えられてしまいます
ですが、人間は肉体のみではなく、そのなかに霊が宿っているので、肉体は主ではないと考えれば、彼らの影響を排除できます
「ヘルメス主義」の記事でも書きましたように、現在広まっている共産主義・社会主義の思想にも、旧約の神の思想が流れています
共産主義は唯物論ですが、そうすると科学技術等に優れた異星人が神のように崇められ、劣ったものを家畜のように扱うという方向にいきます
精神性を重視し、ひとは肉体に宿ったスピリット・霊が主であると考えれば、そうした囚われから脱します
そうしたことで、グノーシスでは物質世界(この世)を否定的に扱い、精神・霊を重視しているのだと思われます
グノーシスは認識をあらわす言葉だそうで、認識を得ることを重要視します
では何を認識するかというと、真の神の認識と、至高神=天の父と自分が本来同一であることを認識することです
真の神と偽の神については何度も述べましたように、旧約の神と、イエス様の天の父とは別で、天の父=至高神こそまことの神だと認識する事です
そしてまことの神と、自身の本質はじつは一つであると言うことを認識するのを重視したのです
主流派からすると二つとも問題があると考えられました
彼らは旧約の神もイエス様の天の父も同一と考えたのです
そして、個人個人が認識=グノーシスを通して真の神と通じると、教会の権力は衰えてしまいます
教会は罪深い人々を救うための神と人との中継者の役割をしていたからです
そして、人と神とが本来同一だとすれば、人間を罪の子とする考えにも反します
ひとは生まれ持って罪深いと捉えるほど、救済の権限を持った教会はよりいっそう強くなるからです
そうしたことで、教会の権力を脅かす存在として、グノーシスは異端とされ滅ぼされたのです
エンリル派はこのように、権力を好み、人々を恐怖心等で隷属させることを好み、自己の奉仕を主とするグループです
一方のエンキ派・ヘルメス主義・イエス様の考えは個々の神性を尊重し、他者への奉仕の強いグループです
歴史的には、この自己への奉仕を主とするグループと、他者への奉仕(愛と慈悲)を主とするグループが競い合ってきたものと言えます
キリスト教グノーシス派は、キリスト教における最大の異端とされ、弾圧されて歴史から消されていきました
グノーシスについて考えるに、そのなかでもっとも重要と思えるものは、主神が誰であるかということでしょう
旧約聖書では神ということで統一されていますが、様々な考えを持った存在がおります
目に見えないため、そうした存在の違いが分からず、すべてを一つの神、唯一神として捉えていったのでしょう
それに対して、グノーシスは、ヘルメス主義を取り入れつつ、旧約の神は、人々を罰し、異教徒の殺害を命じ、嫉妬深い存在で、一段劣った存在と捉えました
派によって旧約の神の捉え方は多少違い、神ではあるが劣った存在であるか、偽者の神、あるいは悪魔と同一視する派もあります
このように旧約の神の信仰を分かち、イエス様が父と呼んだ、まことの神、至高神への信仰へと導くものでした
主流派=カトリック教会は、旧約の神も、イエス様の父も同じ存在として考えたわけです
そうした混同から、神の違いを明確化し、真の神へと導こうとしたのがグノーシスであると言えます
主神の捉え方の違いが根本にあり、それで主流派とグノーシスに分かれていったと言えるでしょう
グノーシスでは、男女を平等にあつかう思想があります
カトリックでは、女性は男性に隷属する存在として考えられていますね
グノーシスでは霊能者が多くいたのだと思います
「マグダラのマリアとグノーシス」でも書きましたように、霊的な感性の強い人は女性に多くいますので、女性が啓示を受けると言うのもあったでしょう
それ故、グノーシスでは女性も重視されたのですが、知識中心で組織を持つ男性集団の教会は、霊的なものを排除する方向へ動き、女性を蔑視するようになってきているといえます
そのほかに、グノーシスではこの世を否定的に捉える考え方があります
それは旧約の創造神とされる存在を否定するために、教義の整合性として、旧約の神によって作られたこの世は否定的に扱われたと考えられます
もちろん、仏教的な考えと共通して、霊性・精神性を重視し、この世の者に執着させないように、よくないものだと教えたと言うのもあるでしょう
もう一つの理由を述べると、シュメールの神話を扱った記事でも書きましたように、旧約の神とされるエンリルは、人類の肉体創造にも一部かかわったのでしょう
シュメールではエンリル系のエイリアン=異星人による遺伝子操作が一部行われていたのだと思います
それゆえ、エンリルの影響を排除するため肉体などの物質を否定し、精神を別だと強調したのではないかと考えられます
唯物的に物だけで世界を見ていけば、肉体を創造に関与したものが神のようなものであり、人類は実験動物や、彼らの家畜のように捉えられてしまいます
ですが、人間は肉体のみではなく、そのなかに霊が宿っているので、肉体は主ではないと考えれば、彼らの影響を排除できます
「ヘルメス主義」の記事でも書きましたように、現在広まっている共産主義・社会主義の思想にも、旧約の神の思想が流れています
共産主義は唯物論ですが、そうすると科学技術等に優れた異星人が神のように崇められ、劣ったものを家畜のように扱うという方向にいきます
精神性を重視し、ひとは肉体に宿ったスピリット・霊が主であると考えれば、そうした囚われから脱します
そうしたことで、グノーシスでは物質世界(この世)を否定的に扱い、精神・霊を重視しているのだと思われます
グノーシスは認識をあらわす言葉だそうで、認識を得ることを重要視します
では何を認識するかというと、真の神の認識と、至高神=天の父と自分が本来同一であることを認識することです
真の神と偽の神については何度も述べましたように、旧約の神と、イエス様の天の父とは別で、天の父=至高神こそまことの神だと認識する事です
そしてまことの神と、自身の本質はじつは一つであると言うことを認識するのを重視したのです
主流派からすると二つとも問題があると考えられました
彼らは旧約の神もイエス様の天の父も同一と考えたのです
そして、個人個人が認識=グノーシスを通して真の神と通じると、教会の権力は衰えてしまいます
教会は罪深い人々を救うための神と人との中継者の役割をしていたからです
そして、人と神とが本来同一だとすれば、人間を罪の子とする考えにも反します
ひとは生まれ持って罪深いと捉えるほど、救済の権限を持った教会はよりいっそう強くなるからです
そうしたことで、教会の権力を脅かす存在として、グノーシスは異端とされ滅ぼされたのです
エンリル派はこのように、権力を好み、人々を恐怖心等で隷属させることを好み、自己の奉仕を主とするグループです
一方のエンキ派・ヘルメス主義・イエス様の考えは個々の神性を尊重し、他者への奉仕の強いグループです
歴史的には、この自己への奉仕を主とするグループと、他者への奉仕(愛と慈悲)を主とするグループが競い合ってきたものと言えます
マルキオン 【キリスト教グノーシス主義】
ウィキペディアから引用しつつ、私見を述べています
マルキオン(Marcion 100年?-160年?)は2世紀のローマで活躍した小アジア(現トルコ)のシノペ出身のキリスト教徒。シノペのマルキオンとも呼ばれる。
聖書の「正典」という概念を初めて打ち出し、自らの基準に従って独自の「聖書正典」を作り上げた。
マルキオンの思想が正統なものでないと判断され、144年の教会会議で破門された。
このためマルキオンはローマで独自の教会を設立する。
彼の創設した教会はマルキオン派とよばれ、初めローマで盛んになり、後に各地へ分散して長く存続することになった。
マルキオンは異端とされたために教会による焚書が行われ、著書は現存していない。
しかしマルキオンの思想は彼を反駁した神学者たちの資料から逆に推測することが可能である。
特に重要なのはテルトゥリアヌスの著作『マルキオン反駁』である。
反駁者たちの文章から推測されるマルキオンの思想は次のようなものである。
まず、イエスはユダヤ教の待ち望んだメシアではなく、まことの神によって派遣されたものである。
ユダヤ教の期待するメシア像は政治的リーダーで異邦人を打ち破るという要素が組み込まれていたことがマルキオンには誤りと思えたのだ。
(今ではメシアという言葉は、宗教的な救済者を表して、イエス様を指すと考えられていますが、当時のユダヤでは、神から使わされ民衆を導く、政治的なリーダーを表していました
たとえば、エジプトからユダヤ人を導いたモーゼのような姿として捉えられ、当時ローマによって侵略されていたユダヤを解放に導く政治的なリーダーとして、メシア待望論が起こっていたようです
それ故、マルキオンはユダヤ教のメシア象は誤りと考えたのでしょう)
また、神が人間のように苦しむはずがないとして、イエスの人間性を否定した。
このようにイエスの人間性を単にそのように見えただけだとする考え方を仮現説(ドケティスム)という。
同時に彼は旧約の神(世界を創造した神・律法神)は、怒りの神、嫉妬する神、不完全な神であり、旧約の神がつくった世界は苦しみにみちた世界であると考えた。
一方、イエスの示した神は、旧約の神とは異なるまことの神、いつくしみの神であると唱えている。
(こちらは、以前の私の日記でも指摘したことと同じことを彼は述べています
「神々の対立 宇宙人の勢力」にも書きましたが、人類を楽園(エデン)から追放した神の起源はシュメール神話にあります
旧約の中には、先住民を殲滅するような怖い指示を出す神が描かれたりしています
旧約の神とされる存在は、様々な異なる考えや個性を持っているように見えますが、実は、複数のメッセージを伝える存在がいて、地上の人間にはその違いが分からず、すべての存在を唯一の神と捉えてしまったのでしょう
マルキオンは、どうやらそうした違いのあることを分かったのでしょう
彼の考え方が実際は正しかったのですが、正統派から滅ぼされてしまいました
愛を説くイエス様の教えから流れたキリスト教が、後に魔女狩りや異端審問で、多くの人を殺め、植民地支配によって侵略を続けたのも、そのもとにあった神を捉え間違ったことに起因すると思います)
このことから、マルキオンはキリスト教徒にとって旧約聖書は必要ないと考え、自分たちのグループのために本当に必要な文書のみを選択しようとした。
これがキリスト教の歴史における最初の正典編纂作業である。マルキオンは福音書の中でルカによる福音書のみを選択し、新約聖書の諸文書の中から特にパウロの手紙を重視している。
このようなマルキオンによる正典の編集への反動として、2世紀以降キリスト教内でも新約聖書の正典編纂の動きが推し進められることになった。
また、マルキオンにはグノーシス主義的な傾きが見られる。マルキオンの思想に見られるように物質の世界を悪とし、それとは別の霊的世界を想定する二元論は、グノーシス主義の特徴を示しており、マルキオン自身がグノーシス主義に含めて考えられることが多い。
ただし、キリスト教グノーシス主義諸派の特徴として、創世記の独自な解釈や、啓示に導かれて様々な福音書等を創作する点が挙げられるが、マルキオンは逆であり正典を極端に限定して捉えている。また、認識(グノーシス)ではなく信仰を重視している。このため、グノーシス主義とは区別して考えるべきとする研究者もいる
ボゴミル派 【キリスト教グノーシス主義】
ウィキペディアから引用しつつ、私見を述べています
ボゴミル派は、10世紀中ごろから14世紀末までブルガリアを中心にバルカン半島で信仰されたキリスト教の一派である。善悪二元論と現世否定に特徴があり、正教会では異端とされた
10世紀中頃に、ブルガリア司祭のボゴミルにより開始された。ブルガリアにおいては東ローマ帝国への抵抗運動と結びつき、一部の地域では正統派をしのぐ勢いをもったが、帝国が衰えブルガリアがオスマン帝国領となり、イスラム教が入ってくると、ボゴミル派からイスラムに改宗する者も現れ、廃れた。
フランスのカタリ派(アルビジョワ派)に影響を与えたとも考えられている。
神話
独自の創造神話を説く。
神(真の神)には、息子が二人いた。サタナエルとキリストという。しかしサタナエルは神に反逆してサタナ(悪魔、叛く者の意)となった。地上の世界は、サタンが神に対抗するために作り上げた。人間の魂は神が創り、肉体は混沌からサタンが作り上げた。
これは人間が神を崇拝するようにするとの約束にもとづくものであったが、サタンはその約束を反故にし、人間が自分を神と崇拝するようにしむけた。これが旧約聖書の神(ヤハウェ)である、とする。
(こちらでも、旧約の神は本物の神とは違うという考えが出ています
グノーシスはイエス様が天の父と呼ぶ、真の神への信仰へと戻そうとする動きであったものですが、旧約の神をあがめる集団(エンリル派)によって滅ぼされたのです
エハン・デラヴィ氏によれば、旧約聖書の神ヤハウェ(エホバ)、カトリック教会はエンリル派で、イエス・キリスト、エッセネ派、テンプル騎士団はエンキ派と言っています
だいたい私の意見とも一致します。グノーシスもエンキ派といえるでしょう)
教義
マニ教的な善悪二元論を説く。人間の魂は、悪しき肉体に拘束されている、この世の物質的なものは全て悪魔(サタナ、ギリシア語でサタンの意)の手で作られたものである、救いのためには全ての物質的なものを否定せねばならない。
ゆえに結婚・肉欲・飲酒・肉食、また教会の機密(秘蹟)も含め、地上の物質的なもの全てが否定される。このように、グノーシス主義の影響を強く受けていると思われる。
聖像や十字架なども物質的なものとして忌避された。また東方正教会や東ローマ帝国などの聖俗の既成権力も、悪魔に由来するものとして否定する。旧約聖書も悪魔のものとして否定された。キリストの受肉も否定され、仮現説に近い教義をもっていた。
カタリ派 【キリスト教グノーシス主義】
ウィキペディアから引用しつつ、私見を述べています
カタリ派(Cathares)は10世紀半ばに現れ、フランス南部とイタリア北部で活発となったキリスト教色を帯びた民衆運動。
カタリ派という名前は「清浄なもの」を意味するギリシア語の「カタロス」に由来している。
カタリ派は消滅したためカタリ派がどのような思想をもっていたのかを正確に知ることは難しいが、反駁者たちの書物からわずかに類推することができる
カトリック教会は、カタリ派が二元論的世界観に代表されるグノーシス主義的色彩が濃厚な特異な教義と組織を有していたため、異端認定したと主張している。
カタリ派思想の根本は、この世は悪であるという思想にある。
世界を悪と考える思考法はグノーシス主義などに類似するものであり、歴史の中で繰り返しあらわれている。
本来、単なる反聖職者運動だったカタリ派はボゴミル派からこの思想を受容したと考えられている。
カタリ派ではこの世界は「悪なる存在」(グノーシス主義ではデミウルゴス)によって創造されたと考えていた。カタリ派が古代のグノーシス主義と違っていたのはデミウルゴスをサタンと考えたことにあった。また、カタリ派は人間は転生するという信仰を持っていたと伝えられる。
(カタリ派でも、この世界は悪なる存在が創造したと考えています
以前にも述べていますように、旧約の創造神とされる神(デミウルゴス=エンリル)が残忍な性格を持つため、それを排除し、イエス様を指導されたまことの神、天の父への信仰へと切り返そうとする運動が何度もおこったのです
グノーシスの運動もそうした流れの一つですし、実は、西洋の近代化を進めたヘルメス主義の復興であるルネサンスもそうした動きだったのです)
カタリ派はグノーシス主義と同じように、物質世界に捉えられた魂はこの世を逃れることで非物質世界である天国に到達できると考えた。
そしてこの世から逃れるための唯一の方法が、汚れた世俗と関係を断ち切って禁欲生活を送ることであった。
このような完全な禁欲生活を送る信徒が「完徳者」(ペルフェクティ(Perfecti))とよばれていた。
完徳者には世の人々の罪を取り除き、物質世界とのつながりを断ち切る力があると信じられ、死後はすみやかに天国に行くと考えられていた。
完徳者たちが送る完全な禁欲生活は、当時の教会の聖職者たちの堕落した生活とは対照的なものであった。
(正統派=カトリック教会にとってカタリ派を許せなかった理由として、彼らは一人一人の信仰に重きを置き、教会とその位階制の必要を否定したことでしょう
カトリックの収入源である煉獄(purgatory)という脅しや免罪符(indulgence)という救いの概念も否定していた
ヘルメス主義の記事でも書きましたように、教会からすれば、救いは教会を経由してもたらされるとすれば、教会は大きな権力を持てるわけです
それをグノーシスのように、教会を解さずに、個人が直接神様と繋がってしまったら、腐敗した彼らの権力は落ちてしまうことを恐れたのでしょう)
一般の信徒たちも死の直前に、「慰めの式」(救慰礼、コンソラメントゥム(Consolamentum))という儀式を受けることができた。
この式を受けたものは以後食事を口にしなかった。
「耐忍礼」(エンドゥラ、endura)と呼ばれるそれは物質の汚れを受けないための潔斎であり、死に至ること自体を目的としているわけではなかった。
カタリ派はこれ以上罪人であるこの世の人間を生み出さないよう結婚を認めず、生殖を目的とする性行為を認めなかった。
しかし、生殖に結びつかない性行為は奨励されたため、この点においてカタリ派が激しく非難されることになった。
カタリ派が保持していたさまざまな神学思想は当時の一般的なキリスト教徒たちにとって受け入れがたいものであった。
まずイエス・キリストが人性を持っていたことを完全に否定し、幽霊のごときでものであったとしていた。
カタリ派にとってみれば、神聖な神が汚れた肉体に入るわけがないのである。
このような説はドケティズム(仮現説)といわれ、カタリ派のオリジナルではなく古代から存在していた。また、先に述べたように「慰めの式」を唯一の秘跡として、一切の秘跡を否定した。
さらに肉食を禁止し、菜食のみを認めた。
肉は生殖の結果であるとされたからであり、生殖の結果である他の食品(卵、チーズ、バター)の摂取も禁じられていた。
カタリ派の教義にはボゴミル派のそれと非常によく似ている部分がある。
カタリ派運動のそもそもの起源は、当時のカトリック教会の聖職者の汚職や堕落に反対する民衆運動であったと思われる。
カタリ派には「完徳者」(perfecti)と「信徒」(credentes)という二つのグループが存在していた。数でいえば、完徳者はほんの少数であり、大部分は信徒であった。
カタリ派対策として1100年代にはさかんにカタリ派地域に司祭や説教者が送り込まれ、説得によってカトリック教会へ復帰させる努力が行われた。
しかし、カタリ派は当時フランスの王権から独立していたトゥールーズ伯など諸侯の庇護を受け、政治問題化しはじめていたため、効果があがらなかった。
カトリック教会の聖職者の堕落を見慣れてしまった民衆は、完全な禁欲生活を送るカタリ派の完徳者の姿に強い感銘を受け、心ひかれた。
1147年、教皇エウゲニウス3世はカタリ派の増えていた地域へ説教師たちを派遣してカタリ派信徒を穏健にカトリック教会へ復帰させようとしたが失敗に終わった。
カタリ派の禁止が正式に決定された当初は教皇が南フランスへ特使を派遣してカタリ派信徒たちにカトリック教会への復帰を呼びかけるという方法がとられていたが、うまくいかなかった。
ここにおいて教皇庁はフランス王フィリップ2世と協議。南フランスを自らの支配下におさめたいと願ったフランス王の思惑と、カタリ派の拡大に悩む教皇庁の思惑が一致して、1209年、カタリ派とカタリ派を保護する諸侯を撃破するための十字軍が編成された。
これが「アルビジョア十字軍」である。
十字軍は南フランスで抵抗する領主たちを撃破し、一部でカタリ派信徒を殺害した。
最終的に1229年にパリで和平協定が結ばれ、トゥールーズ伯が王への服従とカトリック信仰への復帰を表明するという形でフランス南部がようやくフランス王の版図に組み込まれた。
この十字軍は宗教的な理由によるものというより、フランス王と北部の諸侯たちが、王権に服従していなかった南部の諸侯たちを屈服させるために行った軍事行動であった。
1229年、カタリ派への対抗策として異端審問制度が実施された。
1244年、カタリ派の最後の砦であったモンセギュールが陥落し、立て篭っていた多くのカタリ派信者が改宗を拒んで火刑に処せられた。
その後も捕らえられたカタリ派指導者たちが異端審問によって処刑を宣告された上、世俗領主に引き渡されて処刑されたことで徐々に南フランスにおけるカタリ派の影響力は低下していった。
最後の「完徳者」ギョーム・ベリパストが捕らえられたのは1321年であった。
1330年を過ぎると異端審問所の資料からカタリ派の名前は消えていった。信徒たちは山中や森に逃れ、各地へ離散していった。
カタリ派や(同様に異端とされた)ワルドー派はもともとはキリスト教を改革しようという民衆運動に端を発したものでフランシスコ会などの托鉢修道会と同じルーツにもとづいたものであった。
カタリ派信徒の中には托鉢修道会に合流したものもあったという。
魔術師シモンとグノーシス
魔術師シモン・マグスは、新約聖書にも登場する人物で(別人とする説もある)、初期キリスト教の時代に生きた人です
新約聖書の「使徒行伝」の第8章によると、シモンはサマリヤの魔術師で多くの魔術を行い信者を集めていたが、使徒フィリポに出会ってキリスト教に改宗し、そして、ペテロとヨハネが宣教に来たとき、彼らが手で聖霊を授けるのをみて、その力が欲しくなった。
そこで、ペテロに金を出して、その力を売ってくれるように頼んだが、ペテロに「この金はお前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられるとおもっているからだ。」と断られる
この聖書の記述が由来となって「聖職売買」のことを、彼の名を取ってSimonieと呼ばれるようになったそうです
新約聖書外伝の「ペテロ行伝」によると、シモンがペテロより優れているところを見せるため魔術で空を飛んでみせた
これを見てペテロは神に祈ると、シモンは落下して死んでしまったとされます
こうした記述はキリスト教の言い分を正当化するために書かれたものでしょう
シモンはグノーシス思想を持った霊能者であり、後のキリスト教のグノーシス派の源流にあったと考えられます
ですがグノーシス派は主流派によって異端とされ弾圧されたため、その元であるシモンも主流派から評価を落として、批判するために文章が書かれたのでしょう
わざわざペテロと術くらべをしたような記述があるのは、実際にシモンはかなりの霊能力を持っていて人々を引き付けていた事実があって、それを貶めなければ主流派の正当性が危うくなると思ったためそうした記述を創作したのでしょう
シモンの思想では至高神が「エンノイア」と呼ばれる最初の流出を起こし活動を開始し、それによって世界が創造され、人間の魂が物質世界にとじこめられてしまった。という一者から二元的世界が現れたとするグノーシス思想であったようです
シモンは、こうした物質に閉じ込められた魂を解放しようと働いたとされます
シモンはヘレナと呼ばれる女性といつも一緒にいたといいます
キリスト教側の記録によると、「彼女はシモンによって売春宿から身請けされた女性である。彼の信者達は、この女をシモンから生み出された第一の思考の流出、エンノイアであるという。この女はあらゆる人間の母であり、天使をも創造した。そして、天使たちは世界を創造したが、やがてヘレナを妬むようになり、彼女を人間の肉体の中に幽閉した。こうして彼女は物質的な肉体に幽閉されたまま、何世紀もの間、転生を続けたが、売春婦として生まれ変わっていたところに、救済者となって天から降りてきた神であるシモンによって見出され、解放された。」
ヘレナを幽閉した天使たちは、世界を支配するために、この世を悪く治めた。彼ら天使の首長は、旧約聖書の神と同一である(要するに、デミウルゴス)。そこで、こうした事態を正すために、至高神たるシモンは降臨した。彼はまずヘレネを覚醒させ、解放する。そして、全ての人類に救いをもたらそうとしている。この救世主をユダヤ教徒の一部は受難したと見なしているが、本当は受難したのではない」
これはキリスト教側の誤解であって、ヘレナというのは、彼らの教義の象徴で、彼女が売春宿に身を落とすというのは、聖なる魂(ヘレナ)が、物質世界(売春宿)に落ちるが、それが真の神によって救済されるという教義が、このように誤解され、変形した形で記録に残されたのではないかとも言われています
そして世界を創造した神は劣った神であり、別に至高神が存在しているという論点も出ています
こちらは以前に何度か論じたことがありますが、ユダヤ人については何らかの宇宙人が介入していて、それを創造神と混同する記述が旧約聖書に入り込んでいたため、至高神への信仰へ戻そうとする運動がグノーシスであったのではないかと思われます
このシモンの話がファウスト伝説の原型であったという話もあります
上記のヘレナは、何度も転生を重ねたが、時の権力者たちは彼女を所有しようと争ったという。かのトロイア戦争のヘレネーも、彼女の転生の一つだったという。
シモンは、ラテン語圏では、自分をファウストゥス(祝福された者)と名乗った
シモンはヘレナを同伴させていた。一方ファウスト博士はヘレネーを呼び出し、恋仲になったという
前回今回の記事を読んでてふとファティマ第三の予言を思い出しました。
返信削除あまりの内容に歴代のローマ教皇が絶句し人事不省になり再封印したことから、カトリック教会の存亡に関わる内容だと言われてますが、記事にあったようなキリスト教の正統性や根幹に関わる内容だったとしたら教皇たちの反応もうなずけると思います。
と、言った想像(妄想?)を膨らませているのですが(笑)、このファティマ第三の予言についてスピリチュアル的なアプローチから調べていただけないでしょうか。