人間は何かを得たら、それを手放したくなくて、ずっと現状を維持したい、持ち続けたいという欲求が普遍的にあるものです
あなたは何を握り締めていますか?
お猿さんの話をします
ある国の森で、猿を捕らえて食料にする民族がいました
彼らは、ヤシの実に猿の手首位の穴をあけ、中身をくり抜き、中に猿の好きな米の餌をいれ木に固定します
すると、その罠に一匹の猿が忍び寄ります
猿はヤシの実の穴を覗き込み、米を見付け、用心深く穴に手を差し込み、中の米を掴みました
そして米を握り締めた猿は手が穴から抜けないことに気付きます
必死に手を引っ張るのですが、米を握り締めている分、こぶしが大きくなって、穴から抜けないのです
翌日になって、民族の若者がやってきて、罠にかかった猿を楽々と捕らえることが出来ました
こうして猿は、罠にかかって人間に捕まってしまいました
猿は、米を放しさえすれば、手を抜く事が出来たのです
しかし、欲に目がくらんで危機に陥ってしまいました
この話しは、お釈迦様の執着を断つ教えを説明するときに、よく話されるたとえです
人間も、この猿とおなじように、執着を持って、手放せずに苦しみを増してしまうことがよくあります
海のタコについても似たような話があります
海の中に壷を沈めて漁をする方法があり、その壷の中に、タコの好きそうな餌を入れて沈めておくと、翌日に壷を引き上げたらタコが入っています
壷が引き上げられるときに、逃げ出したら助かるのですが、タコは必死に壷にしがみ付いてしまいます
それゆえ漁師に捕らえられてしまうのです
人間も同じく、土地や建物、職業、地位や名誉、お金、人間関係など、さまざまなものに執着し、それが苦しみの原因となっています
仏陀はそうした人間の性質を見抜き、執着を手放すように人に諭しました
この世は絶えず移ろい行くものであり、川の流れのようにとどまることなく、絶えず変化していきます
その変化を恐れ、嫌い、川の流れをなんとかせき止めようと望むから、苦しみは増していきます
この世=物質世界には永遠なるものはなく、絶えず変化し、留まる事がありません
そして仏陀が執着を絶つ教えを説かれたのは、生きている人間のみならず、死して浮かばれずにいる人にも当てはまっているのです
地縛霊という言葉を聴いたこともあるでしょう
おどろおどろしい響きで、あまり使いたくないですが、肉体を離れて、霊となった人でも、何かに執着し、きちんとあの世に旅立てないことがあります
せっかく建てたお家だとか、やっと手に入れた土地だとか、一生懸命蓄えたお金だとか、あるいは、残された子孫に執着することもあります
そうした地上にある物事に執着していると、うまくあの世に旅立てず、霊となって留まる事があるのです
テレビや雑誌などでは、そうした未浄化な霊を、恐ろしそうに、気味悪く表現されていますが、生きている人で、今亡くなったとして、何の未練も無く旅立てるという人のほうが少ないでしょう
そうした人の中で、執着が強いと、亡くなられたら、地縛霊と呼ばれる存在になるかもしれません
この世のものは何一つあの世に持ち帰れるものはありません
地上で経験した体験や、思い出、学び取った魂の輝きしか持ち帰れず、この世の物質的なものは置いていかないとならないのです
ですので、執着を絶つことは、地上にある人が苦しみを手放すことでもありますし、亡くなって後に、清浄に旅立てるための教えでもあります
古いものを手放すことで、また新たな体験や出会いや学びを得られます
こんばんは、はじめまして。
返信削除iioと申します。
とある筋から紹介され、今、ブログを拝見しております。
文章がわかりやすく、やさしく、そして簡便で美しいという印象を受けました。
こちらにコメントしたのは、私も手放せないものがたくさんあるからです。
とくに、今は衣類の整理整頓を予定します。
このたとえ話、ぐさぐさと心に突き刺さります。
私も余計なモノを手放し、すっきりと生活したいなと思いました。
ありがとうございました。