写真は国立科学博物館の「縄文対弥生ガチンコ対決」
服装や装飾品からモデルの体形や顔つきなど、考証されてとられているそうです
一般的な認識では、縄文時代から弥生時代というふうに、文明・文化が進んで発展しているイメージがありますが、単純に弥生と縄文を先進的と後進的と一直線には考えられないと思います
縄文文明と弥生文明という対立としてみることも出来ます
縄文時代は原始的であったイメージもありますが、服装のデザインや綺麗さや、装飾品の多さなど、芸術的な豊かさを感じさせます
一方の弥生時代の衣装は至ってシンプルで実用的な思考が強いと感じられます
装飾や衣服だけでなく、出土する土器にしても、縄文土器は芸術的な美しさを持っていますが、弥生式土器は単純で用を足すのみの物と見えます
縄文時代の遺跡からは武器が出土しないというのも有名で、これは縄文人が平和的で、調和された社会を築いていたこをと示しています
それが弥生時代になると武器が出てきて、装飾などに気を向けるゆとりもなくなり、殺伐とした社会になっているように見えます
かつての日本には世界的にも古い昔から調和された社会の縄文文明がありました
それが、大陸から渡ってきた技術を持った弥生文化の人々によって次第に追いやられていったのでしょう
平和な社会に生きていた縄文人は、武器を大量に持ち、好戦的な弥生人に勝てなかったのです
そして源日本人である縄文人は、次第に追いやられて、日本列島の北と南に分かれていきます
その末裔が琉球人であり、アイヌの人々なのでしょう
遺伝的にも、九州から近畿まで朝鮮半島や大陸から渡ってきた人々の遺伝子が強く、アイヌや沖縄に源日本人の遺伝子が残っていることが知られています
そうした弥生人が日本を統一し、それが大和朝廷へとつながっていき現在にいたります
過去には侵略され滅ぼされた縄文人がいるわけですが、霊的に述べると、そうした存在の意識は、いまだに承服していないという思いのものもいるのではないかと思います
北海道や沖縄では、日本の歴史を否定的に見る観点が強く、それが唯物論のマルクス・共産主義思想に繋がってもいますが、過去の歴史で滅ぼされたものたちの意識の働きもあるのではないかと感じられます
自然とともに生きてきた縄文人は、自然保護などに心情的に惹かれるのもそうしたところがあるのでしょう
そうした古代の意識がいまだに政治的な問題として表れるのを見ると、弥生民族が縄文人を滅ぼしたままで、闇へと押しやったために、光が当てられず、俗な表現をすれば成仏できずにいる意識が多く残っているのかもしれません
2 件のコメント:
納得。一家のなかにも、縄文と弥生あり。夫婦でもあり。写真のように同じ夫婦から生まれていても違う。
うまくミックスした子もいれば難しい子もいる。
今でも、縄文系には弥生系とのつきあいかたが難しい。夫婦や家族といえど、情をかけられない時がある。なぜ結婚したのか?..と思ったこともある。弥生系は魔モノ系のような氣がします。
それでも、地球上で2つの流れを1つに成らせたいために、混合させたいために男女を引き合わせるという運びがあるのでしょうか?
それとも、先祖からつながるカルマによるだけなのか...氣になりました。
沖縄に旅行したときに、確かに、沖縄の方は顔が濃いというか、眉から目元に独特の印象がありました。
もともと日本にいた縄文人も、沖縄の人のような濃い顔だったのでしょうか。
あとどうでもいいことかもしれませんが、同じ日本人なのに腋臭の人と腋臭じゃない人がいるのはなぜなのでしょうか。西洋人やアフリカの人はほぼ腋臭らしいですが。
遺伝子が少し違うのか気になりました。