たといわたしが、人々の言葉や御使(みつかい)たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしいシンバルと同じである。
たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、
不作法をしない。自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。
コリント人への手紙
スピリチュアルなメッセージを伝えたり、霊的な能力に長けていようとも、それ自体はなんら偉いことでも優れたことでもない
その心に愛が無ければむなしいだけなのだ
人々から尊敬される行為や、偉業をなしとげようとも、おごり高ぶり、不遜であればせっかくの行いも空虚なものとなる
何か人と違うような特殊な能力を持つことで、自分は偉いと勘違いするなら、むしろ霊性は後退します
そうした警告の意味をもってパウロは言われたのでしょう
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