戦争と弾圧と心の傷
先の大戦は民主主義対ファシズムの戦いであったと言われることがあります
敗戦国の日本、ドイツ、イタリアはファシズムの国であったので連合国側の戦いは正しかったのだという正当化する理論となっています
ですが敗戦国でも国民の投票を経て誕生しているため、民主主義と対立するものとは言えないでしょう
また共産主義と資本主義も対立していますが、どちらも建前は民主主義を標榜しています
ドイツのナチスは共産主義と対立していましたが政治思想として違いはあるものの、権力を握るとどちらも批判勢力を弾圧し強制収容所送りにします
日本、ドイツ、イタリアは先の大戦で同盟を結びともにファシズムであったと言われています
この三国に共通するのは、大戦前に国際的に厳しい立場に立たされていた点があります
世界的な大不況にあって国内も深刻な状況にあり、貿易でも窮地に立たされていました
その中で台頭してきたのが、イタリアではファシストであり、ドイツではナチスであったわけです
国民の不安や恐怖心や不満の思いの代弁者として、それらは支持されてきたところがあります
ある組織が大きくなるときには、人々の何らかの感情の受け皿として働いています
ナチスもそうして国民から支持されていき、その代表者であるヒトラーは国民の不満や憎悪を取り込み、その矛先をユダヤ人へと向けさせました
その結果は皆さんの知っての通り、ユダヤ人へのホロコーストへと向かいました
抑圧された苦しめられているという思いが集結して、ある組織へと流れ込み、その組織が力を持つようになると他への弾圧が始まる、という図式が歴史の中で繰り返されています
一般には主義主張や思想によって色分けしたり対立しあったりするのですが、実際にはスローガンはまったく反対でも中身の体質は変わらないということがあります
世界平和を祈る団体であれ、軍事力の拡充を主張する組織であれ、主張に関わりなく実は個人の心の傷や恐怖心をその団体の主張に投影しているのかもしれません
先程はナチスをあげましたが、対立していた共産主義も人々の心の傷の投影の役割を果たしていました
資本家によって抑圧された労働者を解放するためと称して、金持ちの家に生まれたという理由だけでその家の子供まで殺されたり、暴力革命が肯定されました
そして共産主義が権力を握ると、反対勢力を弾圧はじめたのです
ナチスにはドイツ人としての誇りなど心に傷を負った者達が癒していくのではなく、ナチスに投影していきユダヤ人への憎しみに向けました
悲惨な労働を強いられてきた労働者階級や、彼らを助けたいと思った者達は、その傷を共産主義に投影し、資本家や知識人達への憎しみに向けていきました
どちらも心の傷を癒すことなく、投影という補償によって憎しみを外部へと向けていきました
現代でも、世界各地の政治家は国内の政治に対する不満が自分達へ向かわないよう他国を批判し、それによって国内をまとめようとし、また国民もうまく乗せられてしまっています
指導者の人気が落ちたり国内政治に不満が向かないように、外国の批判を繰り返すことを各国でよくなされています
掲げる主張がどんなに正しくとも、その組織に集まる集合想念の性質が運動の流れを決めていきます
政治思想などは多くの研究家などで議論され研究されていますが、その運動に集まる群衆感情と集合想念の力は研究がなされていないでしょう
霊的な視点から政治の運動を見ると、集合想念がまるで見えない怪獣が猛威を振るっているように感じられます
政治・選挙と霊的・スピリチュアルな背景
(2012年の)衆議院選挙が終わりました
上記の選挙で、自民に代わり与党となっていた、ある政党が大敗北して議席を大きく減らしました
この党の幹部を見ていて感じたことがあります
かつて大和朝廷に逆らって敗れた人々や、敗戦で国に恨みを持ったまま無くなられた方々の想念を背後に感じました
もちろん全部の人に感じたのではないですが、トップにいる主要な方に、そうしたマイナスの想念を感じたのです
背後で働く力は、日本という国家そのものを解体することを望んでいたのでしょう
私は沖縄の人間ですが、沖縄では米軍基地に反対する運動もあります
もちろんすべての県民が反対なのではなく、多くの県民は日本や周辺国の安全のためには米軍があってもよいと思っています
かつて沖縄戦では激しい地上戦がおこなわれ、十数万人の方が亡くなられていますので、いまだに米軍と戦っている意識のまま止まっている方も大勢いらっしゃるでしょう
そうした方の意識が米軍基地の反対運動の背後では働いていると感じます
おそらく一生懸命に反基地活動をしている人には、先の大戦で亡くなられた戦死者の霊が、憑依して行っている部分もあるかと思います
アメリカ大統領選でも以前の記事でも書きましたように、ハリケーンがあってオバマ氏が対応を評価されて再選されました
このハリケーンなどの自然現象には、かつて白人文明によって滅ぼされた、ネイティブアメリカンや中南米の古代の民族と神々の働きがあるように感じました
かつて白人により滅ぼされたことのある前世を持つオバマ氏が、白人文明の頂点に立つアメリカの大統領になり、米国を衰退させることでカルマの刈り取りをしているものと思います
このように、選挙や政治の背景には、霊的、スピリチュアルなエネルギーも関係しています
ネガティブなエネルギーを背景にすると、国を衰退させ破滅させる方向に向かいますので、ポジティブなエネルギーを受けられるよう望みます
統制主義と自由主義
ファシズムという言葉があります
全体主義で排他的で、自由主義を否定する国家体制で、第二次大戦中のイタリア、ドイツ、日本がそうした政治体制であったと言われていて、第二次大戦は民主主義対ファシズムの戦いであったといわれます
ファシズムと言っても成立は民主主義の過程を通っていますし、共産主義であったソ連も、その政治体制は全体主義で排他的で、自由を否定していますので、同一のものともいえます
ファシズムと民主主義というわけ方自体が本質からずれた言葉の定義となっていますので、私は、統制主義と自由主義という言葉で分けたいと思います
第二次大戦期の日本は、配給制度があり、思想の自由も抑制されていましたし、国家の大事の前に個人の自由は抑えられていましたので、一部のエリートが統制する国家体制であったとおもいます
それに対立関係にあった共産主義が日本では平和勢力のように言われますけれど、共産主義の本質を見れば、同じく統制主義であり、一部のトップ階級にある者が国家を統制し、全体主義であり排他的で、国民の自由を否定していきます
一見正反対のようにお互いは考えているようでも、本質は一緒であることがあります
ファシズムにしても共産主義にしても、国家の運営は一部のエリートがになって計画してなすほうが良いと考え、国民個人個人の考えや行動は抑制されます
そして、国家の考えに反する思想の持ち主は強制収容所に入れられたり、逮捕されて押さえ込まれるのが共通します
一方、個人の自由を尊重する国家体制では、各々が自由に考え行動するため、一見無駄が多いようにも見えますが、市場原理が働いて、より良いものを創造し、良質なサービスを提供されるようになります
個人の自由を尊重するのは、人間一人ひとりに優れた価値を認めて、たとえ国家の指導者やエリートと違う考えの者でも、そのなかに優れた価値があるかもしれないとする考えが根底にあります
人間は様々な主義や思想を持ち合わせていますけれど、それらは対立しているように見えても、それぞれが優れた価値を持っている場合があります
「宇宙の兄弟たちへ」というメッセージをインスピレーションを受けて書きましたけど、それぞれに違った価値観や思想を持っていても、それらはダイヤモンドのカットの面がそれぞれ違う輝きを持つように、互いに優れたものを持っているという意味だと思います
様々なルートから登山を開始しても、頂上ではひとつに繋がっているかもしれません
人間個人では、そうした違いの判定が難しく、自分が正しければ、他は間違いだと単純に考えてしまいますけれど、それは、認識力が不足しているために相手が間違っていると見えているかもしれません
ですので、個々人の価値観や思想を尊重する自由主義は、神の思いに近いと思えるのです
いまだに個人の自由を尊重しない国家が存続しておりますけれど、そうした国家が勢力を拡大していくのは望ましくなく、いずれ無くなっていくべき政治体制だと思います
二極タイプと左翼右翼
先の大戦についてのよく語られる意見について考えてみたいと思います
経済封鎖に対する自衛戦争であった、日本は資源の乏しい国ですから外国から資源の輸入がストップするとたちいかないわけです。だからABCD包囲網によって経済封鎖された日本はやむなく自衛のための戦争をした
また欧米により植民地化された東亜の解放運動であった、欧米の列強により植民地支配されたアジアの同朋を助けて解放するために戦ったとする主張があります
こうした主張は右翼とよばれる思想としてあります
また先の大戦は日本による侵略戦争であった、結果多くの尊い人命が失われ大変罪深いことをした、日本は多くの被害にあわせた国に謝罪をしていかなければいけない
こうした主張はおもに左翼の思想として述べられています
この日記を読んでいるかたもどちらかの意見にわかれるかも知れません
そして彼らの北朝鮮や中国への態度を見ていくと、右翼的な方達は北朝鮮や中国に対して批判的な意見をもち、彼らを非難する傾向が強いと言えます
一方の左翼的な方達は北朝鮮や中国に対して友好な立場をとり、彼らの問題点には目を塞ぐ傾向があります
よく考えると彼ら両者の意見は主張がねじれている、逆転現象が起きています
もし右翼の言うように先の大戦は自衛であったというなら、国連による経済制裁を受けてもミサイル製造や核開発を進める北朝鮮にも正当性を認めないといけません
また解放という理由をつけたら他国へも軍事介入するのが正しいのなら中国のチベット侵略も正しいとなります
中国の理屈ではダライラマによって農奴とされた人民を解放するため進行したといってます
また左翼の言うように先の大戦下では日本は軍国主義で市民は苦しみ、当時の政治は間違いだったと批判するなら、自国民が餓死しているのにミサイルや核開発を進める北朝鮮に対して黙っているのはなぜでしょう
先の大戦で日本はアジアに侵略して悲惨な目にあわせたと言いながら、中国がチベット人やウイグル人を弾圧するのには批判しないのはなぜでしょう
なぜ現在進行形で行われている事態には目を塞いで過去の出来事だけを批判するのでしょう
このように両者の意見はねじまがったものとなっています
自国を正当化する者が他国を非難し(右翼)
自国を非難する者が他国を正当化しています(左翼)
あきらかに両者の主張はねじれています
なぜこのような両端の思想になり理屈に合わなくなるかと考えると人間にある二つのタイプに原因があると思います
人間の性格には二種あって内向的で自分をイジメる内向型タイプと、外向的で無反省で人を攻撃する外向型タイプがあります
ユングもそうしたタイプ論を言っていますが、このような二種のタイプの人間がいるからだと思われます
内向型の人間は自分に自信がなく、自己否定的でその反動で他者肯定になりやすい方です
人の意見に傷つきやすく罪悪感が強かったりします
こうしたかたは左翼的な思想になりやすいと言えます
一方の外向型の方は自惚れた傾向があり、自信を持っていてみずからを省みるのが希薄で、自己の欠点には目がいかず他者を非難しがちな傾向があります
こうしたかたは右翼的な思想になりやすいです
こうして見ると政治思想として右翼や左翼とわかれるのも、人間の性質として二種のタイプのいずれかが強い傾向のあるかたが分かれていると言えます
両者とも自分の立場から世界や物事を見ますので、お互いが理解することが少なく対立する傾向にあります
全体的に日本はどうだったかというと、明治維新の後に日本は日清戦争や日露戦争に勝利し、また第一次世界大戦でも勝戦国側におり、国として近代化に成功して勝ち軍を続けたためかなり自惚れていたと思います
自惚れて国全体が外向型=右翼的になり、第二次世界大戦に突入していったのが真相であろうと思います
そして敗戦によって天狗になった鼻を折られた日本は、自信を亡くして正反対の方向である内向型=左翼傾向へと向かっていっているのが現状であります
自信があった時は右へぶれ、敗戦によって自信喪失し左へ曲がってきたのでしょう
性質としてどちらも極端であり、どちらも傾き過ぎると亡国へとつながります
外向型に傾くと無反省で他国を攻撃する国になりやすく、内向型に傾き過ぎると他国の間違いを指摘できず侵略を受けやすくなります
人間というのはどちらかにぶれやすい生き物ではありますが、極端に傾くことなく進むべきではないかと思います
自惚れることなく、また自己卑下することなく自他を公平に見ていくべきでしょうね
それは一人間としてもそうですし国家の在り方としてもそうあるべきだと思います
それがお釈迦様のといた中道でもあるし、孔子が述べた中庸の徳でもあると思います
極端な考えの政治的な現われと個人の心理
渡辺昇一さんは、戦中の日本の国家体制を社会主義であったと述べ、実態は左翼と同一であったと指摘していました
氏は「右翼も左翼も社会主義者は同じ穴のむじな。」と言っていたかと思います
結局、戦中の体制は右翼の台頭と考えられ、それに対する反対のものとして左翼的な思想があったように考えられますが、実際は両者は同一のもので、極端にぶれると同一の現象を現すようになる
国家の思想とは反対するものを許さなくなり、反する者を捕らえたり、拷問したり、粛清するなど、個人の自由を抑圧する方向へと行きます
先日書きました「二極タイプと左翼右翼」では、同様のことを人間の心理面から述べました
「統制主義と自由主義」でも同様のことを書いています
また、「ヘルメス主義 2」では同一論と隔絶論という分類で自由を尊重する思想と、統制する思想の分かれる根源を書きました
政治思想として左翼系の方と、右翼系の方として対立があり、両者は互いを悪の元凶のようにみなしているかもしれません
ですが、両者の極端になっている者の共通点として、単純な二分法的思考が強く、自分が正しい、だから相手は間違っている。正しい自分の考え以外のものは許せないとなっていきます
そして、両者の共通点として、聴く耳を持たなくなり、思考が凝り固まったような感じで、客観的な判断は出来なくなってきます
個人の心理レベルで見ても、反省する心が無くて、いつも責任を他者に押し付け、批判するものは、自分の過ちには目を向けなくなります
一方で、自己卑下的でいつも悲観的な思考をもって、被害妄想を持っている人も、客観的な見方が出来なくなります
こうした一方は自己肯定・他者批判のものと、自己否定・他者肯定のものは、正反対の性質に見えますが、客観的に物事を捉えられなくなる点では共通しています
これが国家レベルで展開すると、左翼となったり右翼となったりするのですが、共通して反対する意見を受け入れなくなり、統制主義となっていくのです
自分とは違う意見や人の中にも、優れたものや、良きものがあると考え、多様なる価値観を認める思考から自由主義は生まれます
共産主義国家、社会主義国家では、優秀な官僚が計画し管理運営することで世の中はよくなると考えたのですが、実際は自由主義で個人が各々の考えで行動して経済活動をするほうが経済は発展していきました
この世の中には、単に善悪の違いだけでなく、多用なる価値観があり、それらは各々違ったように見えますが、虹が七色に分かれて見えてもすべてが光の現れであるように、それぞれが光を宿していることがあるのです
1 件のコメント:
こんにちは。
この記事を読んで、なぜかわからないのですが、妙に腑に落ちることがありました。背後にある霊的なものを感じとれれば、冷静な判断もできるようになる気がします。とても新鮮な目線でした。ありがとう御座います。