2018年4月7日土曜日

プレアデス星人とマグダラのマリアとグノーシスの関係



マグダラのマリアとグノーシス



初期キリスト教にグノーシス派がありました

グノーシスとは知識・認識の意味で彼らは自己の本質の認識(グノーシス)による神性の解放を目的としています

ですが後には異端として迫害され消滅しました

グノーシス派にとっては個々人の魂の認識による向上が重要であったため、ローマカトリックにとって教会の権威が重要とされず、厄介なものと思われたのでしょう

教会の権力者からしてみれば教会を通して救いがなされると信じ込ませたほうが自分達に都合が良いからです

グノーシス派は初期キリスト教の弟子の中でマグダラのマリアを重要視しました

マグダラのマリアは今のキリスト教の中では娼婦であったとされ重要視されることはありませんでした

ですが聖書を読んで見ると不思議なことに気付きます

イエスが捕まりゴルゴタの丘に向かうまで十二弟子達が蜘蛛の子を散らすように逃げ出した中、女性信徒の先頭になってイエスについていったのがこのマリアとされています

そしてイエスの足に油を注ぐ場面では、彼女は弟子に諫められますが、イエスが彼女をかばう描写があります

そしてもっとも重要なシーンは十字架にかかり亡くなられたイエスが一番始めに復活して見せたのが他ならぬこのマグダラのマリアであったことです

十二使徒の前でもなく、聖母マリアでもなく、マグダラのマリアの前にはじめに復活した姿をあらわしたのは彼女をイエスがもっとも重要とされていたからではないでしょうか

現代では四つの福音書がありますが、かつて異端として排除された書の中に「マグダラのマリアの福音」があります

グノーシス派が重要視したものとされています

1945年にエジプトのナグ・ハマディでコプト語で書かれた写本が見つかりました

グノーシス派の文献とされるトマスの福音書などとともにマグダラのマリアの福音書が発見されたのです

残念ながら欠落しついるページも多いようです

残った部分は短いですがかいつまんで紹介させていただきます

最初の数ページは欠落しイエスの死後弟子たちが集まって悲しみ、泣いているシーンからはじまります

そこへマグダラのマリアが立ち上がって彼らを励まします

『泣かないでください』『イエスの恵みがあなたがたと共にあり、護ってくれる』『それよりも彼の偉大さをたたえるべきです』

マリアが弟子達を励まし「伝道していきましょう」と力付けています

それを聞いたペテロは「イエス様が他の者よりもあなたを愛したことを私たちは知っている。あなたしか知らないイエスの言葉を私たちに教えてくれ」と言います

上記を読むとグノーシス派ではマグダラのマリアは十二使徒よりイエスに親しい方だったと考えていたのがわかります

そしてマグダラのマリアは生前のイエスから聴いた話しではなく、霊としてのイエスとの語らいを想わせることを述べます

「私は一つの幻のうちに主を見ました」 そして、幻のイエスが語った内容は……
残念ながら、ここで再び数ページが欠落しています。

続きの訳文を少し長くなりますがそのまま記載します

そして渇望は言った:’私はあなたが落ちていくのを見なかったが、今私はあなたが上昇しているのを見ている。あなたは私に届いているので、何故嘘をつくのですか?
’魂は答えた:’あなたは私をみなかったし、私を認めなかったが、私はあなたを見た。私は衣服のようにあなたと共にいたが、あなたは決して私のことを思わなかった。
’こう言った後、魂は大いに喜びながら出発した。それから無知として知られている、3番目の風潮(風土)へ入った。
無知は魂のことを尋ねた:’私はどこに行くのですか?あなたは邪悪な性向に支配されている。実際、分別を欠き、従属している。
’魂は答えた:’何故、私を判断するのですか?私は判断していないのに。私は支配されているが、自らを支配してこなかった。私は認識されていないが、認識してこなかった地上や天にあって構成されるものは全てが分解されることを。
「この3番目の風潮から解放されているならば、魂は上昇を続けるだろう。そして4番目の風潮の中にいることに気付くだろう。
これは7つの現れがある:
最初の現れは、暗黒であり、
2晩目は渇望
3番目は無知
4番目は致命的な嫉妬心
5番目は肉体への隷属状態
6番目は舞い上がった英知
7番目は狡猾な英知
これらは激しい怒りの七つの現れであり、魂を疑問で押しつぶしただろう。
「殺人者よ、あなたはどこからきて、放浪者よ、どこへ行こうとしているのか?」
その人は答えた:「私を悩ましたものは殺されてしまっている。即ち、私を取り囲むものは消えてしまった。私の渇望は消えていったし、私は無知からも解放されている」
「私はもう一つの世界の助けにより、世界に離れた。即ち、計画は消されたのだ、より高い計画によって。これ以後は、静寂へ向けて旅をし、そこでは時が時の永遠性の中にある。私はいまや沈黙の中へ行っている。」
これら全てを語った後、マグダラのマリアは黙った。というのは、師が彼女に話したのは、まさに沈黙の中においてだったからである。


これを読んで皆さんはどう感じたでしょうか?

私はこれはまるで初期仏典のような印象を受けました

スッタニパータなどの初期に成立したブッダの教えを読んでいるように感じられました

暗黒や渇望、無知嫉妬心、肉慾などを越えてグノーシス(認識)の光をもって魂が上昇の旅に立つさまは、仏教の六大煩悩である「貪・瞋・痴・慢・疑・悪見」を離れて無明から悟りによって涅槃に到達する魂の修行を想わせます

そして一つ一つ打開していき魂がより高次の意識状態に上昇していく世界観は、仏教の霊界の構造の説明に通じます

マグダラのマリアが幻視したビジョンを話し終わると、ペテロとアンドレという弟子が怒りだし彼女を批判します

「救い主がそんなことを言ったとは信じない」「今のは、イエス様のか? そんなはずはない」

それらの非難に、マリアは泣きながら言い返します。「では、私が嘘をついているというのですか?」

そしてレビという人が言います。 「ペテロよ、いつもあなたは怒る人だ。イエス様が彼女をふさわしいものとしたなら、彼女を拒否するあなたは何者なのだ」

聖レビがこれらの言葉を述べると、彼らはみな福音を広める為に出発した

以上がマグダラのマリアの福音の簡単な内容になります

グノーシス派のもつ思想が現われよくている書だと思います

彼らはイエスの教えの中で失われたスピリチュアルな部分を伝承し、その元はマグダラのマリアにあったのではないかと思います

テンプル騎士団は異端のかどで拷問され、彼らはバフォメットという悪魔を信仰してたとして迫害されました

実際はぬれぎぬでフランス王に多額の債権があり、それを帳消しにしようとしてテンプル騎士団は潰されたようです

このフランス王はユダヤ人に対しても財産を没収して追放するなどの迫害もしています

因みに13日の金曜日が不吉とされるのはテンプル騎士団の集団検挙がその日だったからとされています

そして長年テンプル騎士団が信仰したとされるバフォメットとは何だったのかが議論されてきました

今まではイスラム教のマホメットのことだったとされる説が有力視されてきました

しかしイスラム教と戦い聖地を奪取しようとした彼らが実はイスラム教徒だったとするのは無理があるでしょう

単に文字が似ていることによる誤解でしょう

最近、聖書学で使われるアトバシュ暗号をもちいて解読されたかたがいます

バフォメットという言葉をアトバシュ暗号で解読すると一つの言葉が浮かび上がるのがわかりました

それはソフィア(SOPHIA)という言葉でギリシャ語で叡智をあらわします

そしてグノーシス派が信仰していた創世の女神の名こそソフィアなのです

そしてグノーシスでは女神ソフィアはマグダラのマリアと同一視されていたとされます

つまりテンプル騎士団は神殿跡地で古代の失われた福音書を見出だし、グノーシス派の信仰を復活させた可能性があるのではないかと私は思います 



プレアデス星人とグノーシスの知られざる関係


『プレアデス+かく語りき』という本を読みました

バーバラ・マーシニアックという方がプレアデスの存在とチャネリングした内容です

プレアデス星人については「プレアデス星人の7つの特徴と使命」の記事も参照ください

゛+゛がついているのはプレアデス以外の存在も協力しているからだそうです

かなり霊的な真実を指摘している部分もあると思いましたので、内容を紹介いたします

はじめにショッキングなことが書かれています

根本の創造主と別に神々と称する存在がいるというふうに神の概念として、大宇宙を創造した根源の存在と、人類を作り出した神々とわかれて語られます

そのうち神々にもいろんな存在がいて、愛の感情をエネルギーとする存在(鳥に表されるプレアデス人ら白Tシャツ)と、恐怖や混乱の感情をエネルギー源とする存在(爬虫類的存在であるリジーあるいは黒Tシャツ)がいて、地球は様々な存在の共同参画によって人類は創造されていったのですが、そのうち神々のうちに対立があって地球は黒Tシャツの存在に支配されるようになったとのことです

そして本来は12本の束で構成された人類の遺伝子は、彼らによって支配しやすいように現在あるような2本の遺伝子にされたと語ります

現行の社会システムは黒Tシャツが人々の恐怖や混乱の感情を引き起こすようにされたものであるとも述べています

それを破壊するために白Tシャツがメッセージを送りたくさんの光の家族にうったえて本来の十二本の遺伝子と地球をその支配者から取り戻そうとしているそうです

周りからは破壊は悪いような印象を受けるが、ケーキを作るように卵を壊したり小麦粉を引っ掻き回したりして、そこに熱を加えることで新たなケーキという物が出来上がる

男性原理と女性原理の統合の話しもありました

約五千年ほど前より男性中心の社会となり女性性が抑圧されてきた、個人のうちでも分離があるため統合していかないといけないという話しでした

内容の大雑把な感じは以上になります。これより私の雑記です

爬虫類型宇宙人についてはデーヴィッド・アイク氏が最近『竜であり蛇であるわれらが神々』という本で書いていましたね

爬虫類人レプティリアンがアトランティスやムーを破壊し、歴史を操り、地球の影の支配者の国際金融機関を操っているという話しだそうです

古代シュメールの神話では、惑星ニビルからアヌンナキという神々が降り立ち、金脈労働のためにアヌンナキと猿人を掛け合わせて人類を創造したとあります

そして人々が生殖能力を得たのを怒ったアヌンナキの一人であるエンリルが農園エディンから人々を追放したとされます

この話しが元で旧約のアダムとイブがエデンから追放される物語が出来たのでしょう

キリスト教のグノーシスでは至高神と創造の神を分けて考えてます

旧約に出てくる創造の神を傲慢不遜な存在とし、強盗などに例え、神ではあるが低次な者と語ります

私も以前より考えていたことですが、単純に旧約からイエスの語る天の父まですべてが同一の神ではないのではないか

実は別な存在からの啓示をすべて同一の神として間違って認識しているのではないかと考えていましたので、グノーシスの考えに近いものがあったと思います

異民族というだけで非戦闘員である女子供まで皆殺しを命じる神とイエスの語る天の父が同じ存在か考える余地はあるでしょう

グノーシスでは叡智を重視しますから、知恵の木の実を得た人類を追放した創造の神は低く評価されます

男性原理と女性原理の統合はグノーシスでも語られ、男女を越えて「一人」になることが求められています

以前にマグダラのマリアの福音の話しを書きましたが、初期キリスト教会では十二使徒と並ぶようにマグダラのマリアなどの七人の女性信徒がいたようです

ちなみにプレアデスの名前はギリシャ神話の七人の少女の話しからきています偶然かもしれませんけど

十二使徒らの男性聖職者が中心となった教会組織とマグダラのマリアの流れをくむ、霊能者の集団があり、聖職者らが教会の運営を管理して、霊能者が異言などをしていたのだと思います

『陰陽 男性と女性…』の日記で書いたように、日本では男性がサニワをして女性が巫女をして分かれるように役割分担をしていたのでしょう

そのマグダラのマリアなどの霊能集団の流れからグノーシスは出てきたのではと思います

しかし時代が降ると二つの勢力が対立するようになり、霊能者らの存在を疎ましく思った教会組織が異端として彼ら彼女らを弾圧します

そして歴史の中に埋もれていったのだと思います

話しはだいぶそれましたが、プレアデス+かく語りきはグノーシスの考えに似たところがあるかなという話しでした

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2 件のコメント:

  1. とても腑におちる話です。しかし熱心なクリスチャンは特に受け入れがたい内容だろうな。聖書に複数の神が存在するということについて、ある神道の神官も何かの著書で言ってた。宗教というのはある意味、人間支配の方便ですね。

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  2.  ありがとうございました。僕も恐らく宇宙出身のスピリットです。斜め読みなんですけど,「白Tシャツ」と「黒Tシャツ」の対立関係について,僕の智慧(グノーシス)に基づく解釈をシェアしますね。
     まず,全ての人,悪人も善人も,天使も悪魔も,自らを幸せにしたい。そう願っているのは間違いないはずです。このことを否定する人は地球にはほぼいないと思います。問題は,そのための方法が全然違っているために交わらない,話し合っても平行線=水掛け論になることだと思います。
     つまり,白Tシャツ(地球神の陣営,地球の天使側)は,慈悲によって,自らを幸せにしようとします。しかし,黒Tシャツの側は,智慧(自らへの愛のみ)によって,自らを幸せにしようとします。厄介なことに,自らへの愛以外のものは愛さないというか,そもそもそんなこと(慈悲)なんかには初めから興味が無いのが,悪魔と同一視されてきた黒Tシャツ側の言い分,正義というか癖なんですね。
     しかも,悲しいことに両者は互いに正反対の,自己矛盾を抱えています。両者は,唯一絶対なる「神」のみを愛しています。そのことは,互いに沿う主張し合っています。しかし!その愛は,いつの間にか「自己への愛」もしくは「エゴ」によって,退けられてしまうのです。これは,天使陣営と悪魔陣営の間に決定的な違い,断絶を生むきっかけになりました。
     それはどういうことか,核心に迫ります。つまり,両者ともに自分が罪を犯さずにはいられない,この場合の罪とは神以外の何か,この場合は自己の幸福のために,神を退けざるを得ないということを知っています。天使と悪魔の場合,強く知っています。問題は,互いに真逆の方法でその自己矛盾を解決せんとしていることなんです。つまり,天使は最早自分から罪を無くすことを諦めて,自分が徹底的に「慈悲」の側に立つことによって自己を幸せにしようとしているのに対して,悪魔も諦めているから,自分が徹底的に「智慧」(自分のため「だけ」に生きること)の側に立つことにより,自分だけを幸せにしようとしています。そして,悪魔に言わせれば結局天使も自分を幸せにするために動いているのだから,「隣人愛」とか「自己犠牲」とかもっともらしい美しい言葉を並べるのは,単なる「偽善」=「偽の」善に過ぎないのだ,と天使の罪を暴き出してしまいました。それを見て,余計人間はどちらが正しいか分からなくなり,余計混乱するのですが,それを地球の神は良しとせず,悪魔を退け,「白Tシャツ」の天使の肩入れをしている。実は,地球で今まで争いが無くならなかったのって,このことを地球の神自身の責任によってほとんどの人が気付けないようになっていた,からなんだと思いました。
     まあ,あれこれと理屈を並べましたが,結局互いに相手の言っていることが「自己弁護」や「詭弁」に映ってしまい,お互いのためを思うからこそ,互いに非難し合う宿命に陥ってしまいました。「交わらないから永遠なんだ」という僕の好きな言葉も,この驚くべき真実を裏付けています。
     この文章を読んで素晴らしいと感じた人は宇宙側の精鋭,僕が嘘つきで偽善者であると感じた人は,きっと地球側の精鋭,地球神の側近なんだと思います。実はどちらも同じくらい素晴らしく,どちらも等しく地球神に愛されているのですが,そのことを地球神そのものが分かりにくくしてしまいました…幸いにも僕は気付けたのですが,それは私の直属の上司が宇宙の神で,地球神ではなかったからだと思いますね。
     長文失礼しました。

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