陰陽 男性原理と女性原理
「つれだつ友なる二羽の鷲は、同一の木を抱けり。
その一羽は甘き菩提樹の実を食らい、他の一羽は食らわずして注視す。黒き道を、金色の鷲たちは水をまといて、天に向かって飛翔す。
彼らは天則の座より帰り来たれり。
そのとき実に地はグリタ(雨)によってうるおさる。」
『リグ・ヴェーダ讃歌 謎の歌』
古来より日本では巫女と審神者(サニワ)が対となり、ペアになってまつりごと(政)の中心にいました
巫女は天と繋がり天の声を受ける器の役割をします
そして巫女の受け取ったメッセージを解釈し、メッセージが本物か、役に立つのかを論理的、理性的に判断する地と繋がる存在として審神者(サニワ)がいました
巫女は女性的、直感的、右脳的、調和的、陰性の性質を体現し
審神者は男性的、論理的、左脳的、進歩的、陽性の性質を体現しています
巫女(女性原理)と審神者(男性原理)が結合して天と地が繋がっていたわけです
巫女である女性が天の声を受けて、サニワである男性がその声を普通の人に理解できる言葉に翻訳して伝える役割分担をしていました
しかし、日本だけでなく世界中で時がたつとともに、審神者である男性は物理的、肉体的力が強く、社会指向が強いため現実社会で権力を持ってきました
そして女性原理である巫女を分離し、論理性を重視した自然との調和を欠いた文明が築かれていきました
現代文明では、巫女に象徴させる性質を分離し闇に押し込みました
男性原理の体現である現代文明から分離され、抑圧された影である女性原理は、恐怖され嫌われ、理解できない怖さの幻影が投影されて魔女狩りや女性蔑視へと向かう原因ともなりました
深層心理学者のユングはすべての男性に、男性の中の女性像であるアニマ(Anima)が存在し、
すべての女性に、女性の中の男性像であるアニムス(Animus)が存在すると述べました
アニマは男性の中における女らしさであり、アニムスは女性の中における男らしさです
それがゼーレ(心)の内で結合されていない場合(大抵はされていません)に自己の内のアニマ(あるいはアニムス)を他人に投影してしまうと彼は語ります
「外に向いて〔投影されて〕いくと、アニマ(男性の中の女性像)はむら気で、無節操で、気まぐれで、気ままで、情動的で、ときには悪魔のように鼻が効き、無遠慮で、放埒で、嘘つきで、偽善的で、分けが分からない。
それに対してアニムス(女性の中の男性像)は、頑固で、原則にこだわり、命令的で、説教好きで、改革好きで、理屈っぽくて、言葉にとらわれ、争いを好み、支配したがる。」
『個性化とマンダラ ユング』
ある異性を観て上記のような印象を受けて感情が強く動いたなら、それは自己の内にあるアニマ(あるいはアニムス)を相手に投影している可能性があるようです
それら対立する原理は暗闇のニグレドにて融合し、アルケミスト(錬金術師)はそこから賢者の石を手にいれます
母性愛と父性愛
クリスチャンの作家である遠藤周作さんのお話しで思ったことです
イエスの思想について、キリスト教では裁き罰するような厳しい考えがありますが、遠藤さんはイエスに深い愛と許しの教えを見ます
前者が父性愛とするならば、後者は母性愛とも言えるものです
父親は子供が間違いを犯せば厳しく罰し、過ちを正そうとするでしょう
一方の母親はどのような未熟な子供であっても優しく愛します
父性とはナンバーワンを目指して向上を求めるのに対して、母性はオンリーワンとして子を愛する気持ちにあるのではと思います
子は時として自ら危険を犯したり、何気なしに人を傷つけることもあるでしょう
そうした時には父性として誤りを指摘しなければならない時もあります
ですがそれだけでは殺伐として、評価されて優秀であれば愛され、劣っていれば愛されないという思いをもってしまいます
母性の許しの愛は他人と見比べて評価する相対的な愛を超えて絶対的な価値を知らしてくれます
ですが母性愛のみだと人は甘やかされて過ちに気付かないこともあるでしょう
ですからこの二つの原理が人間には必要となっているように思うのです
遠藤さんは母なるものとしてのイエスを見ました
一方では厳しい父性としてのキリスト教からの批判もあったようです
どちらも一面の真理を現わしており、片方だけが正しいとは言えないのかもしれません
父性も母性も子供を育む愛情の現れと言えるのではないでしょうか
ですが片方のみを正しいとする見解からは、もう片方が間違いのように見えてしまうこともあるように思います
遠藤さんはどちらかと言えば日本には母なるものとしてのイエスが会うのではないかと考えていたようです
必ずしも父性的なキリスト教を否定しているわけではなく日本人には受け入れずらいと思っていたのでしょう
人間が物事を知るとき対象を分析してみせます
分析や分別というのは字のとおり物事をわけるということです
未分化な状態にあるときは人の意識はまどろみの中にあるのであり、物事が分化して対立することで知覚するようになります
そのように対立する概念や理念が人間の意識に立ち現れれてくるのですが、今回の父性や母性など、それらの対立は一方に立って見ていると、相手は否定されるべきものとしてうつるわけですが、本来は自らの内なる対立を投影したものであり、やがては統合していくものであると思えるのです
男性原理や女性原理もそうです
対立する原理があることで意識現象はあらわれてきますが、投影されたそれらを統合していく働きもまた人間の本質、あるいは宇宙の本質としてあると思います
2 件のコメント:
初めてコメントさせて頂きます。洪さんの文章に真実の光を感じました。沖縄がいつまでも平和でありますように!
あやこさん
コメントありがとうございます
沖縄への言葉もありがとうございます
光を感じていただきうれしいです